2012年 01月 24日
京都市東山区松原通大和大路東入ル

東山の六原界隈は六波羅蜜寺や六道珍皇子など、地蔵尊を祀った寺院は多いです。この寺もその一つで、寺伝によれば弘法大師が六道の辻と呼ばれるこの地に辻堂を建て、自作の地蔵像尊を祀ったことに始まるといわれています。
嵯峨天皇の皇后 橘 嘉智子(たちばなのかちこ)が皇子正良親王の病気平癒を祈願したところ、無事成長ののち仁明天皇となったのに因んで、一般に「子育地蔵」と呼ばれるようになりました。
皇后は延暦五年(786)の生まれ、橘氏の出身で、年若くして神野(かんの)親王(嵯峨天皇)に見初められ妃となりました。生前仏教を厚く信じ、嵯峨庄内に檀林寺を建立したので檀林皇后といわれました。嘉祥三年(850)、仁明天皇の病気を憂えて出家し、天皇崩御の一ヶ月後、冷泉院にて亡くなられました。陵は嵯峨鳥居本深谷町にあって、嵯峨の清涼寺には供養塔と伝える石造五十層塔があって皇后と嵯峨とのつながりが深いといわれています。
西福寺との関連性はあきらかではありませんが、本堂には近年造られた皇后の等身大の美しい木造があり、『檀林皇后九相図絵』を有しています。当寺は慶長八年(1603)安国寺恵瓊の菩提を弔う為に井上安芸守が蓮性上人を開山に迎えて建立しその後、亨保十二年(1727)関白二条綱平が亡父のために再興した浄土宗のお寺と伝わっています。
本堂にある本尊阿弥陀如来座像(室町時代)は胎内に長禄元年(1457)の墨書銘のある藤原風の立派な来迎像で、この寺の建立より古いものなので他所より移されたものと思われます。
地蔵像はその前にあって高さ約20cm、錫杖や宝珠を持たず、これは両手を膝の上に合わせて蓮華座上に趺座する姿となっています。その温和な表情は世に「子育地蔵」として迎えられ崇敬されました。
「子育地蔵」は「子安地蔵」または「子授地蔵」とともに地蔵菩薩の広大無辺な慈悲の一端を象徴したものです。
参考引用掲載 京のお地蔵さん 竹村俊則著
写真 ro-shin

嵯峨天皇の皇后 橘 嘉智子(たちばなのかちこ)が皇子正良親王の病気平癒を祈願したところ、無事成長ののち仁明天皇となったのに因んで、一般に「子育地蔵」と呼ばれるようになりました。



本堂にある本尊阿弥陀如来座像(室町時代)は胎内に長禄元年(1457)の墨書銘のある藤原風の立派な来迎像で、この寺の建立より古いものなので他所より移されたものと思われます。地蔵像はその前にあって高さ約20cm、錫杖や宝珠を持たず、これは両手を膝の上に合わせて蓮華座上に趺座する姿となっています。その温和な表情は世に「子育地蔵」として迎えられ崇敬されました。
「子育地蔵」は「子安地蔵」または「子授地蔵」とともに地蔵菩薩の広大無辺な慈悲の一端を象徴したものです。
参考引用掲載 京のお地蔵さん 竹村俊則著
写真 ro-shin




日蓮宗のお寺で、地蔵堂は表門より本堂に通じる狭い石だたみの通路に面していて、像は高さ約60cm、花崗岩の丸彫りからなる立像です。



