鳥形山 飛鳥寺 |
蘇我馬子の寺
592年には工事が着工されましたが、その年前代未聞の事件が起こります。
これを聞いた馬子は怒ります。崇峻は自分が天皇にし、妃に娘も与えた。ところが天皇は馬子を敬遠するように飛鳥からはなれた地に宮を定め、また正妃には馬子の娘ではなく、大伴氏の小手子を据えた。さらに物部氏が祭祀する石上神宮に仕えていた守屋の妹の布都姫も娶った。これらは明らかに反馬子を意味します。天皇は密かに武器も集めているという。
そこで馬子は、東国からのみつぎ(租税)を献上するという偽りの儀式をもうけ、知らずに出席した天皇を、配下の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)に殺させました。史上唯一の臣下による天皇暗殺でした。
崇峻天皇のあとは皇后の炊屋姫が即位。初の女帝・推古天皇です。推古天皇は聖徳太子を我が国初の摂政に任命、太子と大臣馬子に国政を委ねました。596年四天王寺や法隆寺の数倍もの面積を持つ日本最初の本格寺院が完成しました。「法興寺」また「元興寺」とも呼ばれました。
平城京遷都の後、飛鳥寺も養老二年(718)に元興寺(奈良市)となり、伽藍の中心部がそのまま残され、本元興寺(もとがんこうじ)と呼ばれました。これが現在の飛鳥寺です。本堂には推古天皇が606年に、鞍作止利(くらつくりのとり)に造らせた日本最古の大仏・金銅釈迦如来像が安置されています。
当初は黄金に光り輝いていたのですが何度かの火災にあったりして、残っているのは顔上半部と右手の指三本が当時のもので、あとは後世のものです。本堂も江戸時代に建てられたものです。
奈良県高市郡明日香村飛鳥682 ☎9744-54-2126
参考引用掲載 聖徳太子の寺を歩く
写真 ro-shin