神妙椋樹山 大聖勝軍寺 |
当寺は聖徳太子が建立しました。敏達天皇のとき、大臣蘇我馬子をはじめ仏教を信じる者が多い中、物部守屋は蘇我氏との勢力争いもありこれに強く反対しました。守屋は阿都(八尾)に本宅をかまえ矢作部、弓削部など弓矢を製造する職人を配下に持ち、軍備を増強する一方、物部八十氏といわれその勢力を誇っていました。
(矢作りの生命は「矢の尾」にあり「矢尾」を「八尾」と呼ぶようになります。)
仏教伝来をめぐり祟仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋が対立、守屋の本拠を中心に河内一円を血で染める激戦となりました。
用明天皇の命に従って馬子とともに広めようとしていた当時16歳の聖徳太子は自ら兵を率いて参戦します。しかし強力な兵を率いる守屋の前に三度敗退。大軍に包囲され絶体絶命の窮地に陥りました。
神妙椋樹
戦乱後、太子は二度とこのような惨事が我が国に起こらないように、仏法「和の精神」を後世に伝えようと植髪尊像、四天王像を安置する太子堂を建立、我が国仏法の根本道場としました。
大阪府八尾市太子堂3-3-16 ☎0729-22-3000
参考資料 <河内西国巡礼 >
写真 ro-shin