荒陵山 四天王寺 その7 |
[腫れ物にご利益 牛王尊]
不動堂の東向かいにある小さなお堂は、牛王尊と称する石神を祀っています。
聖徳太子が四天王寺を建立する時に、材木を曵いていた牛が倒れて石に変じたという伝説が起源と言われています。
動物慰霊のお堂で、後世、「牛が草を食う」が転じて「瘡(くさ)をとる」という信仰が生まれました。
「南無大聖牛王尊(なむだいしょうごおうそん)」と一心に唱え、手を合わせれば傷や腫れ物平癒に功徳があるそうです。
[建築の守護神 番匠太子]
不動堂のすぐ南に番匠堂があります。
このお堂は、日本における大工技術の始祖として番匠(大工)達から尊崇されている聖徳太子を祀っています。曲尺(かねじゃく)と呼ばれる直角に曲がった定規を持った可愛い聖徳太子が祀られています。
四天王寺は推古天皇元年(592)に聖徳太子が鎮護国家済世利民のご請願により創建され、その際伽藍建立に当たり百済より最新の番匠の技術を招来されたそうです。聖徳太子は七堂伽藍を建立するためにやむをえず台地の産物の命を断ってしまうので、金槌や鋸、錐などに仏性を入れて番匠器(大工道具)で「南無阿弥陀佛」の名号を書かれ大工の工事安全と伽藍の無事建立を祈ったと伝えられています。
文化国家日本の先駆けとなった四天王寺伽藍の建立は、聖徳太子並びに番匠の人々の叡智とたゆまぬ努力の賜物であり、その偉業を顕彰し、併せてあらゆる建築にたずさわる人々の守護のため、ここに番匠堂が建てられました。
参考引用掲載 大阪を歩く
写真 ro-shin