(洛東) 崇徳院地蔵(すとくいん) |
清盛悶死は上皇の怨霊の祟り?
積善院准胝堂 地蔵堂内
左京区聖護院中町14 tel 075-761-0541
市バス「熊野神社前」下車徒歩約3分
崇徳院地蔵は本堂背後に4つ並んだ小堂のうちの左から2番目に安置されている地蔵尊です。
像の高さは約1.5m、花崗岩の自然石の表面に右手に錫杖、左手に宝珠をささげ持ち、厚肉彫りとした温雅な石仏です。
崇徳上皇の怨霊をなだめるために造立されたといわれ、これに因んで「崇徳院地蔵」といわれますが、また「崇徳院」がなまって「人食い地蔵」とも呼ばれました。もとはここより西へ約60m、聖護院川原町にあったのをのちに移したものと伝えられています。
それより京都には悪疫や大火・地震などが相次いで発生し、養和元年(1181)には平清盛が熱病にかかって悶死するなどのことがあって、誰いうとなく、これは崇徳上皇の祟りによるものだと噂しあいました。
そこは聖護院より西、鴨川に近く、保元の乱の古戦場となった白河北殿跡にあたります。しかし、鴨川の氾濫にしばしばおかされるので、嘉禎三年(1237)四月に東の聖護院川原町に移しました。
旧地は「崇徳田」といいい「人食い地蔵」と呼ばれる石仏のみが残っていましたが、明治三十二年(1899)京都医科大学付属病院の敷地となるに及んで積善院に移したものです。ちなみに京大病院の構内には、今もなお崇徳宝物塚・装束塚と称する古墳が残っています。
参考引用掲載 京のお地蔵さん 竹村俊則著
写真 ro-shin