北信太〜和泉府中その5 |
聖神社からまた、熊野街道へ戻って(一の鳥居から南へ)歩いていくと街道沿いに「小栗判官笠掛け松」と照手姫(てるてひめ)腰掛け石」があります。
浄瑠璃や歌舞伎などで知られる小栗判官と照手姫の伝説です。小栗街道と呼ばれる由縁です。小栗判官の物語を紹介しておきます。 昔、都に小栗という青年がいました。親は小栗に妻を迎えようと次々にすすめましたが、気に入らず72人の妻を迎えては送り返すということを繰り返していました。
ところがある日のこと、小栗は美女に変身した深泥池(みどろいけ)の大蛇と愛を深めたため、父親の怒りにふれ、都を追われ常陸(ひたち)の国に流されました。
小栗は武蔵国・相模の郡代横山の娘に照手姫という大変美しい姫がいると聞き、まだ見ぬ照手に恋いこがれ、10人の家来を連れて強引に婿入りしました。これに怒った横山は小栗とその家来を宴席に招き、毒をもった酒を飲ませて殺してしまいました。そして照手姫も同罪として相模川へ流され各地を転々としたあと、美濃の国、青墓の宿で常陸小萩という名で水仕女として苦悩の日々を送ることになりました。
一方、地獄の落ちた小栗は閻魔大王のはからいにより、この世に餓鬼の姿で戻されることになりました。「この者を熊野峯の湯に入れればもとの姿に戻る」と書いた閻魔大王の自筆の胸札をかけて小栗は墓からでました。
これを見た藤沢の上人は胸札に「一引きひけば千僧供養、二引きひけば万僧供養、藤沢の上人」と書き加え「餓鬼阿弥」と名づけた小栗を土車に乗せ熊野に向かって旅出させました。道中、上人様の徳をいただこうと人々は村から村へ餓鬼阿弥を載せた土車をひきました。照手姫も「餓鬼阿弥」が我が夫とは知らずに車をひきました。照手姫はその際、「青墓の宿から常陸小萩が引きました。全快しお帰りの際には一度宿を取って下さい」と胸札に書き添えました。
道中多くの人の情けを受け土車は相楽の国を出て関ヶ原を越え京都、大阪、そして熊野街道を難渋な旅を続けること444日で熊野峯の湯に着きました。小栗は熊野権現の加護と峯の湯の薬湯の効果があって49日で見事に蘇りました。
その後、都にもどり、両親と再会し、天皇から畿内五カ国と美濃の国を賜ります。そして青墓の宿に常陸小萩を訪ね、照手姫とめでたく再会し、二人は常陸の国に戻り、大いに栄えたということです。
参考引用掲載 和泉市熊野街道探索MAP
写真 ro-shin