本泉寺 (日蓮宗・伊丹市) |
そのころは戦国時代真っ只中にあり、織田信長が駿河の今川義元を打ち破った「桶狭間の戦い」がありました。戦乱で亡くなった人を弔うために建てられたようです。
本尊は日蓮大聖人が御染筆された大曼陀羅です。
仏像としては一塔両尊の形で中央に御題目の南無妙法蓮華経、向かって左に久遠実成の釈迦牟尼仏、右に法華証明の多宝如来(三寶尊)が安置され、その両脇に上行等の四菩薩、三宝尊の前に等身大の日蓮大聖人像が安置されています。
江戸時代に入り、当寺第六世本樹院日秀聖人の代より堂宇の新改築が始められ元禄9年(1696)に本堂、祖師堂、妙見堂、番神堂、書院、客殿、庫裏、山門、鐘楼、庵、対面所等の七堂伽藍が完成しました。
戦火や阪神淡路大震災を免れた本堂は、約300年の創建当時の姿を保っています。
安政5年(1858)~昭和18年(1943)
上田 南嶺(源次郎)は安政5年京都伏見に上田 征輔の子として生まれる。明治8年 四条派画家 渡辺 祥益に入門。同23年 昭憲皇太后の法隆寺行啓や同25年ロシア皇太子の来日の際に法隆寺より依頼され献納図として 同寺冥景を描く。大正7年 伊丹の醸造元 小西 新右衛門(11代 業茂)の招きにより 伊丹古城下に古城庵と名づけた居を永住の地と定め 多くの作品を当地に残す。昭和18年3月3日「このたびは 汽車も電車もいらぬ旅 ただ6文で弥陀の浄土へ」辞世を残し 86才の生涯を終えた。と書かれています。
写真 ro-shin