湊川神社 楠木正成殉節の地 |
忠義と正義の神
湊川神社は別名楠公(なんこう)神社と呼ばれている。
南北朝時代の武将、楠木正成がこの地で壮絶な戦死を遂げたことから、神戸市民はこの悲劇の主人公を「楠公さん」と親しみを込めて呼んでいる。
楠木正成は永仁二年(1294)現在の大阪府南河内郡千早赤阪村に生まれた。
鎌倉時代末期の頃、正成は幕府を打倒し王政復古をはかる後醍醐天皇の蜂起の呼びかけにいちはやく呼応し、奈良県と大阪府の境にある金剛山麓に千早赤坂城を築き、幕府に抵抗した。
もとは天皇を支え建武中興を実現した楠木正成と足利尊氏だったが、今度はこの湊川の地で激戦を交えることになった。
足利軍数万人の軍勢に七百人あまりの兵で迎え撃った正成だったが、早朝から夕刻まで続いた戦いで、丘を覆いつくすような軍勢に取り囲まれながらも、数十回の決戦を挑んだ。結局、衆寡敵せず無念にも敗北し、延元元年(1336)弟正季(まさつら)以下一族とともに湊川にて玉砕した。その会下山のふもとの合戦地は湊川公園として、市民の憩いの場になっている。
参考引用掲載 大阪神戸の謎とき散歩
写真 ro-shinn