月浦山 無量光寺 |
山門は総欅造り。彫刻は伝左甚五郎作です。
暴風雨は何日たっても止まず源氏は住吉の神に願を立てた。その最中にも源氏の前には雷が落ちて一部が焼けた。その夜まどろんだ源氏の夢に亡き桐壺院があらわれ、住吉の神に導かれるままにこの浦を去るようにと言われる。
翌朝、明石入道が、夢にお告げがあったといって舟で迎えにきた。源氏は自分の夢との暗合から明石へ移った。明石入道は喜んで源氏をもてなし、娘の婿になってもらいたいという、かねてからの願いを打ち明けた。
八月十三日、月の美しい夜、源氏は入道の娘(明石の君)を訪ね二人は結ばれた。
一方、同三月の暴風雨の夜、朱雀帝の夢にも故桐壺院が立たれ、その後、帝は眼病を患う。弘徽殿大后の父・大政大臣が急逝、大后も病に臥された。それは源氏を苦しめている報いであろうと、帝は大后の反対を押して翌年七月末に源氏召還の宣旨を下す。源氏は妊娠していた明石の君を残し、住吉大社にお礼の使者を送り帰京。権大納言に任ぜられた。
参考引用掲載 源氏物語を歩くJTBパブリッシング
写真 ro-shin