高山彦九郎像 |
幕藩体制の硬直化で幕府の行く末が見え始めた1700年代の終わりごろ、勤王を説いて諸国を遊歴し、幕末の志士たちに多くの影響を与えた。いわば明治維新の先駆者と言えよう。広い交友関係や思想や情報の伝達・普及の詳細が残された膨大な旅日記からうかがえる。
筑後久留米で自殺した時、47歳だった。蒲生君平・林子平とともに寛政の三畸人(さんきじん)と称される。
京都に遊説した際、三条大橋からはるかに御所を伏し拝み、皇室の衰微を嘆いたという逸話に基づき、昭和3年(1928)三条大橋の東詰めに銅像が建設された。現在の銅像は昭和36年に再建されたものである。
参考引用掲載 新選組と幕末の京都 出版㈱ユニプラン
写真 ro-shin