月真院 禁裏御陵衛士(きんりごりょうえじ) |
慶応三年(1867)3月、新選組と袂をわかった伊東甲子太郎(いとうかしたろう)以下15名が禁裏御陵衛士を拝命し、同年6月、屯所をかまえた。彼らは高台寺党とも呼ばれ、ここを根城に薩摩藩や勤王派の志士たちと交流を深めていった。
元治元年(1864)十二月に新選組に加わり参謀となるが、もともと尊攘論者であったため、藤堂らとともに新選組を去る。月真院に屯所をかまえてわずか半年もたたない、慶応三年(1867)十一月、伊東は近藤らの計画にはまって新選組隊士に襲撃・斬殺され、(油小路事件)御陵衛士隊の活動は終った。
参考引用掲載 新選組と幕末の京都 ユニプラン
写真 ro-shin