泰叡山 瀧泉寺(りゅうせんじ) 当山の開祖は天台座主第三祖・慈覚大師円仁です。大同三年(808)大師がまだ十五才のとき、師の広智阿闍梨に伴われて比叡山へ登る途中、目黒の地に立ち寄り、その夜に不動明王の霊夢を感じ、自らその尊像を彫刻して安置したのに始まります。(秘仏として十二年に一度、酉年に御開帳)
大師は比叡山に登って伝教大師最澄の弟師となり天台の教義を研究されていたましたが、承和五年(838)唐に渡り求法の旅を続けること十年。
ある日、長安の青龍寺に詣でて本尊の不動明王の尊像を拝すると、かって目黒の霊夢に現れたお姿に酷似しているのに驚き不思議な奇瑞に感涙咽んだという。
帰朝して伝灯大法師位を授けられ、天台座主第三祖となったが、その後再び目黒の地に下り、堂宇の建設に着手した。
家光公の目黒御殿と五色不動 家光公の帰依を受け、寛永七年(1630)上野御国院の開祖・生順大僧正が堂宇の再建に着手され50余棟の大伽藍が復興しました。家光の不動尊に対する信仰は篤く、その伽藍は「目黒御殿」と称されるほど華麗を極めました。歴代将軍も家光の志を継ぎ、また、江戸の庶民も多く訪れ門前には市が立ち、今も賑わっています。
観音堂 観音堂の聖観世音菩薩は江戸時代初期の作で、八尺ほどの高さの容姿端麗な尊像です。江戸33観音札所の結願所でもあります。
参考引用掲載 関東三十六不動霊場ガイド
写真 ro-shin