あびこ観音 吾彦山 大聖観音寺 |
厄除開運聖観世音菩薩の縁起
「この都から西南の方角の山の中に滝があり、そこに竜王が世にも尊い仏さまの尊像を捧持して、この像を拝む者は病気はもとより一切の厄難を逃れることができる。この尊像を請けて帰り宮中でおまつりするように」とのことであった。
天皇は不思議に思われて行基に夢の話をされ、行基は天皇より勅命を賜り西南の方角に道をとり山中にたどり着いた。
ところが人里はなれた山の中に思いもよらず都風の童子がひとりで遊んでいた。
「この山中に滝がありますか。そして何か変わったことはありませんか」と童子にたずねると、童子の答えは天皇が見た夢の話のとおりだった。話し終わるや童子の姿はかき消すように見えなくなった。
これに力を得た行基は滝のほとりの石の上にすわり、一心不乱に竜王出現の祈願をすること三日三夜に及んだ。あたかも二の午の日、今まで晴れ渡っていた大空が俄にかき曇り、天地無明の闇となり、大地は震い、樹々は物すさまじく揺れ騒いだ。
その時、突然、滝の中から一筋の光明が射したと、見る間に激浪が立ち、昼のように明るくなった。そして、水煙の中から竜王が右の手に聖観世音の尊像を捧げて現れ、一心に祈願する行基にその尊像を授けた。
行基は「私はこの尊像をありがたく戴きますが、このお像を真にあなたから戴いたことを天皇はじめ人々に信じていただき、厄難をのぞく霊験あらたかなことを知らすために、一つ証拠を戴きたい」と竜王に申し上げた。
すると竜王は観音さまを捧げた右の手を自ら噛み切って行基に授け、そのまま水中に姿を消した。急いで都へ立ちかえり、天皇に捧げた。天皇も喜び尊像を拝すると病気もたちどころに平癒した。天皇は報恩感謝の誠をあらわすために、竜王出現の地にお寺を建てた。その後、住吉のあびこの地に移転し信仰された。戦乱のため堂宇が焼け、寺僧らは尊像および竜の手を護持して、高野山聖無動院に移した。
のち、大坂の陣の際、徳川家康は真田の軍勢に本陣を襲われかろうじてあびこの寺にかくまわれて難を逃れた。その時の住持が快敬だった。
快敬(東三郎左衛門)は家康が竹千代として今川邸の人質となっていた時、何かと世話をした縁があった。のちに家康は、その子(東助左衛門)を召出して駿府の勤番としていた関係もあり、この観音のために堂塔を寄進して寺観を整えた。その後二条城、そして江戸入府の時、この観音像を移して、赤羽根円明院に安置、信仰した。
元和二年、東助左衛門は家康の子頼宣にしたがって紀州徳川家に移り忠勤をはげみ、のち家督をその子(東仁左衛門)にゆずって所領に隠棲し出家して盛長と名乗り、父快敬の遷化のあとあびこ山を継いだ。
寛永十七年、盛長は家康の二十五回忌法要に招かれて参列の際、紀州候頼宣を通して家光に円明院に移されていた観音像のあびこ山への帰山を懇請して許され、本元の地に安置されることとなった。
円山応挙の写生図巻にあびこの珍しい竜の手の写生もあり、その縁起の不思議さとともに有名であったことがわかる。
不動明王像
愛染明王像
観音宗総本山 大聖観音寺
〒番号558-0014 大阪市住吉区我孫子4丁目1-20
℡06-6691-3578
参考引用掲載 大聖観音寺パンフレット
写真 ro-shin