魚山大原寺 実光院 |
実光院はもと、現在地の向かい側、大原陵(後鳥羽天皇・順徳天皇陵)が所在する場所にあった。明治以降、普賢院や理覚院は無住となり、大正八年(1919)この二院と統合するかたちで旧普賢院の寺地に移転して現在に至っている。
これは梶井宮門跡第二十世・尊快法親王(後鳥羽天皇第十皇子)の御心によって、旧実光院の後園に両帝のご遺骨を分骨して安置していたが、本陵として整備するため旧宮内省の命によって移転したのである。
客殿の南側に広がる庭園は江戸時代後期の作庭で、律川より水を引く心字の池を中心とした、旧普賢院以来現存する池泉観賞式の「契心園(けいしんえん)」である。築山の松は鶴を、池の島は亀を表現している。
実光院の庭園には、四季折々に花を咲かせる山野草が植えられている。
参考引用掲載 実光院パンフレット
写真 ro-shin