JR学研都市線「京田辺」駅に一休寺の案内があります。電柱に貼られたとんちを見ながら歩いて行くと一休寺へたどりつきます。
駐車場もお食事処もあります。
酬恩庵は文永四年(1267)に大応国師が開いたお寺で当時は妙勝寺といっていましたが元弘年間(1331~1333)に兵火にかかって焼けてしまい、そのままになっていたのを康正元年(1455)一休禅師が入山して再興し、宗祖大応国師の師恩にむくいるといった意味から酬恩庵と名を改めたといわれています。
本堂への参道の右手に門扉に金色の菊の御紋を飾った廟所があります。禅師はずっとここで暮らし81才で大徳寺47世の住職となり、ここから京都の大徳寺まで通い文明十三年(1481)88才の時ここで亡くなりましたが遺骨はこのお寺へ葬られています。
庫裡
方丈(215㎡もある堂々たるもので加賀百万石の前田利常が寄贈したもの)
方丈の庭園(南庭)
(東庭)
(北庭)
それぞれ独立した形を取りながら互いに関連していて、松花堂昭乗・佐川田壺斉・石川丈山の合作といわれています。江戸時代の枯山水庭園の傑作で國の名勝に指定されています。
本堂は最初永享年間(1429~1441)に、足利六代将軍義教によって建立されたものですが、現在のものはその後室町時代の永正三年(1506)の再建で三間に三間、一重、入母屋造り、檜皮葺き。唐様仏殿の典型的なもので早くから重要文化財に指定されています。大正五年に解体修理昭和37年に屋根の葺き替えが行なわれています。
宝物殿には一休禅師の頂相や遺偈などの墨跡他を展示しています。自由に観覧できます。
少年一休像
少年時代の一休さん。手に箒をもち掃除をしています。現在の世の中の汚れもこの箒で一掃して明るい世の中にしたいとの願いがこめられています。
一休さんの「とんち」で有名な「この橋わたるな」と書かれた橋がありました。「真ん中を通ればいいんだな」と思いながら渡りました。
一休和尚碑『諸悪莫作 衆善奉行』(しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう)
一休和尚筆七仏通戒偈「悪いことはするな、よいことをせよ」の意味。
参孝引用掲載 関西古寺巡礼
写真 ro-shin