<第十五番 徳寳山 大通寺> |
大阪府八尾市教興寺7-110 ℡0729-41-6648
近鉄大阪線高安駅からまっすぐ東へ徒歩約15分教興寺の少し手前に大通寺があります。もともとは広大な教興寺の一坊、塔頭寺院であったものが戦火に遭うなど荒廃していた時に融通念仏宗寺として大通上人によって再興されました。三十三体の十一面観音菩薩像は前薬師寺別富探題大僧正によって修復されてよみがえり本尊脇に燦然と輝いています。毎月十八日にいは観音講を開催。観音経とご詠歌があげられおおいに賑わっています。
この世の名残り
夜も名残り
死に行く身を
たとふれば・・・
曾根崎心中のお初、徳兵衞ゆかりの寺です。
境内には舟形にに枠取りされた文字面に「南無阿弥陀仏」と刻まれた墓碑があります。これは曾根崎心中で有名なお初、徳兵衞の墓で、俗に「夫婦塚」または「縁つなぎの墓」といわれるものです。伝説ではお初は教興寺村の出身で曾根崎の廓の年季があけてからこの地で徳兵衞と幸せに暮らすはずでした。しかし幸薄く二人とも心中してしまいます。
苦労を重ねてやっと
夫婦になれたものをと教興寺の浄厳和尚は二人を不憫に思い碑を建てて手厚く回向しました。
それで誰言うとなく「夫婦塚」「縁つなぎの墓」と語り伝えられました。縁結びの願いのためここに参詣するものが絶えなかったと言います。この頃、近松門左衛門が、そんな二人の話を浄厳和尚から聞いて早速これを脚色して、大阪竹本座にて上演され世に広く知られることになりました。これが浄瑠璃の傑作中の傑作「曽根崎心中」です。
門前の地蔵堂内には鎌倉時代末期の作になる子安地蔵尊ともう少し後期の作で聖徳太子戦勝祈願の縁起をもつ矢高地蔵尊が祀られています。
いづれも八尾市の貴重な石造遺品と評されています。
参考資料(河内西国巡礼)