<第三番 独鈷山 鏑射寺> |
神戸市北区道場町生野1078-1 ℡078-986-4095
また、鏑射寺の由来は太子が鏑矢を射ると敵は必ず戦わずして降伏したことによると言われています。
南北朝時代に入り、このお寺は南朝方に味方をしたので建物のほとんどを焼失してしまいました。
その後、豊後の人、勇阿上人が京都で修行を積み三田の正覚寺に逗留中、ある日この山に登り霊感を得て、意を決してこの荒廃した寺の復興のために生涯を捧げたのでした。
難行苦行の末伽藍を整え1863年西国三十三カ所、四国八十八ヶ所の石仏の造営を完成させました。
しかし1873年明治六年、三田九鬼藩の一部藩士の手によって焼失してしまいました。それからの鏑射寺は不幸にも荒れるままになっていました。
昭和22年近くに住む田中実道師が、聖徳太子の御遺徳を偲びこの鏑射寺を復興させようと世人に呼びかけ、さらに小林慈海師がこの聖業に協力、このことが皇太后陛下の兄君、久慈宮朝融王殿下の耳に入り昭和30年10月、殿下がこの地においでになり、山頂で鏑射寺の復興をお祈りになられたそうです。
参考資料<西国愛染十七霊場巡礼>