<第45番 金剛院> |
その昔、はるか北方に紫雲たなびくのを見た行基菩薩が奇端を感じ当地にやってくると忽然と老翁が現れこういいました。
「我の大士を持つことすでに久し、今幸いにして嘉遇す。ここは四神相応の霊場なり、急いで伽藍を建立し、仏の無上妙法を演布して国民を救済せよ」と。
こうして創建された寺名は老翁の差し出した珍果の味がこの世のものと思われなかったことから放光山味舌寺(ました)と号されました。
それがなぜ蜂熊山蜂前寺(ぶうぜんじ)と呼ばれるようになったかといいますと、鎌倉時代官軍は戦いに敗れ敵軍に追われ当寺に逃げ込んできてお堂のすみに息を潜めていると目の前に蜘蛛 の巣にとらわれてもがく蜂の姿がありました。
「わが命運はすでに尽きた。せめてこの蜂を助けて、善根を施すことにしよう。薬師如来よ、ごらんあれ」と蜂を逃がしました。そこに敵の大群があらわれましたが、山内の林の中から幾万もの蜂が現れ敵軍を撃退してしまいました。
後には無数の死体が残されていたと言います。同時に戦死した蜂を集めてねんごろに供養したのが、本堂の裏にある五輪塔です。
行基作といわれる御本尊薬師如来は30年に一度開扉される秘仏です。次回は2114年になっています。
参考資料<摂津国八十八所巡礼>