●御詠歌●
いにしえの こころをくめや おしおやま
くさわけたのめ とうのめぐみを
850年染殿皇后(藤原明子)が文徳天皇の妃となり惟仁親王を懐妊されました。その安産祈願のために、父の藤原良房が慈覚大師の高弟・恵亮を開山に延命地蔵を奉安し創建したのが十輪寺で、その後勅願寺として栄えましたが、応仁の乱で灰燼に帰して1750年花山法皇は荒廃している西国三十三所を嘆いてその再興を発願し、法皇一刀三礼ご自作の十一面観世音菩薩の尊像を背負って巡礼し目的を達成されました。
最後に当寺へ参詣され、背中に背負った観音像を当寺に奉納して十輪寺を再興されました。この観音さまは「おいずる観音」「草分観音」と呼ばれています。その後平安時代の六歌仙の一人・在原業平が晩年をすごし自ら塩を焼かれたことから小塩の地名が残っています。
本堂にわたる控えの間の襖にはその当時をしのばせるあでやかな平安絵巻が描かれています。現代に描かれたもののようでした。撮影禁止なので残念!
業平が自ら塩を焼いた塩釜
在原業平の墓
京都市西京区大原小塩町481 ☎075-331-0154
========================
参考資料 らくさい(京都洛西観音霊場案内)
京の隠れ里の観音様 (こころの散歩道を楽しむ会)
洛西三十三ヶ所 平幡良雄著