お大師様は高野山に入定された |
お大師様は天長九年((832)59才の秋から、深く穀味を断って、もっぱら座禅観法を楽しんでおられます。それは皆、末世の弟子たちや信徒たちのしあわせを考えてのことです。
「どうか私の言うことをよく聞いて欲しい。私がこの世に生きている時間はもう幾ばくもありません。そなたたちは身体を大切にして、謹んで真言密教の教えを守り継いで、いつまでも法灯を輝かせて下さい。私は高野山にかえって長く山にとどまろうと考えています。私が世人の風習に従ってあなた方と別れるのは、来年の三月二十一日(835)62才、寅の刻(午前4時)です。弟子たちよ、私との別れを悲しんで泣いたりしないでほしい」と・・・
お大師様は約二年半前からご入定(座禅に入ったまま息を収めてその三昧(精神統一)をして永恒ならしめる秘法)の準備にかかられて五穀を断っておられました。そして半年前にご入定の月日、時間まで予告されています。
さてお大師様は、承和二年三月十五日に、諸弟子たちへの最後の遺誡を終えられ香湯で身を清められ、浄衣を着して浄室に入られました。そしてこの時以来、床座に上って結跏趺坐して大日如来の定印を結び弥勒菩薩の三昧に入られました。
そのままのお姿で七日目を迎えられて三月二十一日の朝、寅の刻の予告どおりに深く目を閉じ堅く唇を結ばれて金剛定(三密金剛の大定)に入られました。
その御尊容は、御眼は閉じられお声は出されなかったけれども、他は生身のお姿と少しも変わったところはありませんでした。
そのままのお姿で四十九日間のご法楽を捧げましたが、お顔の色は少しも衰えず髪も長く伸びてきましたので五十日目にお剃り申し上げました。その時なお潤いがあり温かであったということです。
その定身を輿におのせして奥の院の御廟までお運びして石室へ納め奉りました。
お大師様は禅定三昧に入ったままのお姿を高野山に留められているのです。そして神通自在の境地から身を百億に分って、未来の私たちを救うために入定されました。
ありがたや 高野の山の岩かげに
大師は今だおわしますなる
これは鎌倉初期の天台宗の歌僧、慈鎮僧正の歌ですが、この歌のように今に生き通しに生きて、私たちを見守ってていて下さるのです。
引用掲載 弘法大師空海百話 佐伯泉澄 著者