口と腹との違いを見通せ |
いわゆる己が臃脚(うみあし)をかくして
他の腫足をあらわす者なり
秘蔵宝鑰巻中 全集一
人というものは立派な教えを本で読んだり聞いたりして良い事悪い事をよく知っているけれども「わかっちゃいるけどやめられない」
口では簡単にいえるから偉そうなことをよく言うけれども思いや行いとなると、無茶苦茶を平気で行ないやすいものである。
それはちょうど、諺にいう「親を大切にせよ、と説いた孝経を手にささげながら、片手で母の頭を殴るようなものである。
いわゆるおのれの膿みの出ている汚い足をかくして知らぬ顔を決め込んで他人の少し張れた足を大げさに指摘、吹聴し、つつきまわるようなものである。
自分にとって不利な事はできるだけかくして相手の不利になる事を巧みに宣伝し相手を陥れようとする。これが現実の世の中である。
だから人のいう事とする事は一致しているなんて甘く考えていると、とんでもない目にあわされる。したがって大人の世界は、あいつは何を考えて何をねらっているのかという腹の探り合いということになる。
他人の腹の中を見通して読まなくては、無事に渡っていけないのがこの世の実情です。
これが実際の経験が物を言うという所以である。だからこの世はきれいごとだけを教えておけばよいというものではない。この現実のえげつない、ずるがしこい、恐ろしい人間の怖さもよく見て知っておき若い人たちに教えておく必要があります。
それを十分わきまえた上で性根の悪い人たちと渡りあって、これに負けずに正義と真の慈悲をこの世に行なえる人を、真の大丈夫というのである。
引用掲載 弘法大師空海百話 佐伯泉澄 著者