信貴山 朝護孫子寺 |
聖徳太子を守った毘沙門天
聖徳太子が物部守屋との戦いのさなか、当山に祈願したところ、寅の年、寅の日、寅の刻に、日本で初めて毘沙門天が出現し、太子を守護しました。太子は「信ずべき、貴ぶべき山」信貴山(しぎさん)と名付けて、戦いに勝利した後に寺を建立しました。これが信貴山の始まりです。
寛平年間(889~898)命蓮上人が来山されたころは、衰微して小堂を残すのみでした。さっそく上人は堂塔を再建。さらに延喜二年(903)醍醐天皇の病気平癒に霊験があり、朝護孫子寺の勅号を下賜されました。信貴山の近くには役行者が修行された元山上千光寺があり、修験道との関係が深かったと思われます。多宝塔の少し上に役行者を祀る行者堂があります。命蓮上人は修験者の性格を有していたのではないでしょうか。
世界一の張り子の寅
通常の張り子の寅と同じく、首がゆっくりと動いています。ここから山の上に本堂を望むことが出来ます。
信貴山 H P
参考引用書籍 「役行者霊蹟札所巡礼」
役行者霊蹟札所会 朱鷺書房 写真・御朱印 blog管理人