2008年 06月 09日
上野山(じょうやさん) 福祥寺(須磨寺) |
1602年に豊臣秀頼が再建した本堂

このお寺は平安時代前期の淳和天皇(じゅんなてんのう)の時代。兵庫の和田岬沖の海中に漁師が網を投げると、聖観音像が引っかかりました。近くの会下山(えげやま)にお堂を建ててその観音像をお祀りし、北峯寺(ほくほうじ)としたのがはじまりとされています。
五十年余後に光孝帝(こうこうてい、在位884~887)が聞鏡上人に命じてこの像を本尊とする七堂伽藍を現在地に建てさせました。当寺は天台宗で七堂十二坊を持つ大寺院でしたが、お寺が主要道路に面していたことから、歴史に名を残すほとんどの戦乱に巻き込まれ、その度に被害を受けていました。一方で、源頼政や豊臣秀頼のように復興に力を入れる武将もいました。
明治の廃仏棄釈で本堂、大師堂、仁王門を残すのみとなるまで荒廃してしまいました。明治中頃から徐々に伽藍に手を加えていき大正時代には以前の勢力を取り戻しました。須磨寺は平安時代から文人墨客に愛されてきました。
平安初期の歌人・在原行平(在原業平の兄)の須磨での蟄居や源氏物語「秋に愛でる須磨の月」など・・・



神戸市須磨区須磨寺町4-6-8 ☎078-731-0416
参考掲載 ふるさとの古寺巡礼 ビジュアルブックス・神戸十三仏めぐり
写真 ro-shin


