【脱腸】 護持山 天性寺(蛸地蔵) |
建武年間(1334~38)和田和泉守高家が岸和田に在城の折に、大きな津波が起こりました。ところが水が引いた後は、家々に大した被害がありません。人々は不思議に思って海岸に出てみると地蔵菩薩の尊像が蛸に取り囲まれて立っていました。そこで、これは岸和田の守り本尊であるとして、一時岸和田城にお祀りしていました。しかし世の中がまだ治まっていないので、尊像に危害が加わるといけないと、城の濠の中に入れてしまいました。
時は流れて天正年間(1573~92)松浦肥後守が岸和田城主のとき、紀州根来の雑賀衆が泉州に侵入、岸和田に攻めてきたことがありました。根来の多数に対して無勢の岸和田、たちまちにして落城寸前になりました。そのとき、一人の白法師がどこからともなくやってきて、敵中に躍り込み相手を悩ませます。しかも無数の蛸があらわれ、毒気を敵に吹き込んだので、さしもの根来の軍勢も退散しました。
戦いの後、城主が白法師をさがしましたがどこにもいません。その夜、城主の枕元に白法師が立ち地蔵菩薩の化身であると伝えました。そこで、古くからの言い伝えをたよりに、濠の中をさがしたところ地蔵菩薩の尊像が見つかりました。さっそく尊像を洗浄して場内に別殿をつくってお祀りしました。
蛸地蔵は諸病平癒に御利益がありますが、特に、脱腸に霊験あらたかです。蛸の絵の絵馬を奉納し一年または三年間蛸を立って祈願することになっています。
参考引用 関西御利益の寺社
大阪府岸和田市南町43-12☎07274-22-0773
写真 ro-shin