《江口の里》 瑞光寺の鯨骨橋 |
江口の君堂から上新庄駅へ戻る途中、瑞光通り二丁目に、通りの名の元になった「瑞光寺」があります。
寺伝によると聖徳太子の建立で、その後火災で衰退しましたが寛永二十年(1643)に復興されました。その頃の寺名は指月寺と呼ばれていましたが現在の名前に改められたのは亨保十四年(1729)境内に鯨の骨を用いた《雪鯨橋》があることで知られています。
宝暦六年(1756)当時の住職潭住が捕鯨で有名な南紀太地裏に行脚した時、数年来の不漁で困っていた漁民たちが豊魚の祈願を嘆願して、禅師が祈願したところやがて鯨の大群が押し寄せて、村は久しぶりに大漁に湧きました。
『摂津名所図会』には「初めは橋板とともに鯨だったが、近き頃朽ち損じて今は石橋となる。高欄の左右は鯨の腮(あぎと・あご)なり。その尺丈余(長さは3m余)色黒く、難波一州の名奇(めずらしいもの)なり」と記されています。
戦災で堂塔は焼失し、鯨の橋も失いましたがその後も橋は太地町から寄贈を受けて定期的に架け直されてきました。
本尊の厄除け観音像は、聖徳太子の自作と伝えられています。
参考引用掲載 大阪を歩く
写真 ro-shin