近江湖東 <第11番 釈迦山 百済寺> |
湖東三山で最も南に位置する百済寺(ひゃくさいじ)
この寺は推古天皇の時代聖徳太子の発願により創建されました。創建時のご本尊は、”植木の観音”といい、聖徳太子のご自作のお像であったとのことです。また本尊をお祀りするお堂は百済国の龍雲寺を手本にして建てられたので百済寺(ひゃくさいじ)と名づけられたようです。
しかしそれから70年後の元亀元年(1570)の秋、織田信長に対抗した佐々木義治などを援護するため当山衆徒が働きました。それを知って腹を立てた信長は報復のため天正元年(1573)百済寺を攻め、一山悉く灰燼とし、難をまぬがれたのはご本尊数体の仏像と重要な経文類のみでした。
信長は比叡山をはじめ各所で焼き打ちをし、自らもまた京都本能寺において、側近の森蘭丸とともに明智光秀の兵によって焼かれました。百済寺焼失より十年余、この地は荒涼たる状態でしたが、天正十二年(1602)には百四十六石五斗の地が寺領となって坊舎も建てられ復興されていきました。
(本坊「喜見院」と庭園)
東近江市百済寺町323 ☎ 0749-46-1036
参考引用掲載 近江湖東二十七古刹巡礼
写真 ro-shin