近江湖東 <第17番 繖山 観音正寺> |
その時の本尊は太子自作の千手千眼観音ですが、開創にあたってはこんな話が伝えられています。
聖徳太子が諸国を回っていて琵琶湖のほとりにさしかかリました。その時、葦の茂る湖畔から人魚が浮かび出て「私はもと堅田の浦に住んでいた漁師です。ところが永年にわたって殺生を続け仏法を信じなかったのでこんな姿になってしまいました。毎日毎晩湖に中で魚たちに生き血を吸われその苦しさにはもう耐えられません。どうか助けて下さい」と泣きながら訴えました。聖徳太子は哀れに思い観音像を刻み近くの山上へお堂を建てて安置しました。
戦国時代に入り、六角氏が織田信長に滅ぼされこのお寺も焼失してしまいました。慶長十一年(1606)現在地に復興。その後本堂の荒廃がひどくなったため、彦根城の欅御殿を拝領して寺院としたのです。
この本堂は平成5年5月22日に重文の本尊千手千眼観音菩薩とともに焼失しました。平成15年、白檀を刻んだ千手千眼観音菩薩とともに落慶法要されました。総白檀千手千眼観世音菩薩丈六座像、千の手を持つ真新しい仏さまに会うことが出来ます。
滋賀県蒲生郡安土町石寺2番 ☎0748-46-2549
参考引用掲載 近江二十七名刹巡礼
写真 ro-shin