近江湖東<第26番 阿育王山石塔寺(いしどうじ)> |
阿育王塔(あしょかおうとう)の出現
石塔寺のはじまりは、推古天皇の飛鳥時代、聖徳太子が近江国に四十八ヶ寺の伽藍を建てられ、その後の結願の寺の寺号を本願成就寺とされました。それがこの寺です。
それからおよそ四百年がたち、今また阿育王塔が得られたのは、この地は仏縁深い霊地であると言う事で、七堂伽藍を建て改め「石塔寺」の号を下賜されたのです。寛弘三年(1006)のことです。石塔寺は平安・鎌倉時代には大いに栄え七堂伽藍が建ち並び、八十余の末坊がありましたが、不幸にして、応仁の乱や織田信長の兵火によって、建物、仏像、古文書、美術工芸品などを焼失し、古くから伝わるもものは阿育王塔とそれを守るように建ち並ぶ、石仏、石塔です。
滋賀県東近江市石塔町860 ☎0748-55-0213
参考引用掲載 近江湖東二十七古刹巡礼
写真 ro-shin