近江湖北 <第22番 伊吹山護国寺 悉地院> |
●御詠歌
みねたかく ことごとくしる あらたなる
おくのいぶきに はゆるほんどう
伊吹山は山岳仏教の聖地として古来より栄えていました。開山は役行者で、泰澄、行基、最長、空海などと深い関連があります。
後醍醐天皇の時代により、中宮藤原禧子皇子御産祈祷所にもなり、柏原庄、伊吹庄の地頭、佐々木京極累代の庇護を受けていました。
しかし明応八年(1499)から永正九年(1512)にかけて受難の時代が続きました。
弥高、観音、太平、長尾の各寺の本末関係の内紛、宿坊支配、井福貴社の神事役をめぐる争い、佐々木、京極氏の内紛、近江守護職佐々木六角の湖北征伐などによって多くの宿坊を焼失被災。
この時代には京都の仁和寺や醍醐寺と密接な関係を結び、千手観音を本尊として安置していました。
悉地院の寺域は山城としての機能を備えていたため、天正八年(1580)織田信長の浅井攻めでも兵火のために焼失し伊吹山西麓に移転、その後さらに現在の地へ移転しました。
滋賀県米原市上野 ☎0749-58-0531
参考引用掲載 近江湖北二十七名刹巡礼
写真 ro-shin