近江湖北 <第8番 唐喜山 赤後寺> |
●御詠歌
もうできて 汲みてしみれば おのづから
かわのながれの のりのみずかな
この平野を南北に分けるように東西に長く湧出山(ゆるぎ山)が横たわっています。小高いこの山の南面中央部の山麓にこのお寺があります。老杉古樹に囲まれ長い年月を経た重みが伝わってきます。
奈良時代の高僧行基菩薩が、願い事があって千手観音を刻み湧出山にお寺を建てて安置しました。その後伝教大師最澄が己高山で修行されていた頃この千手観音様にお参りし、大変感動して、思うところあってもう一体補いたいと聖観音様を刻んで安置しました。 建暦から貞応(1211~24)にかけて兵火にかかり寺院はすべて焼失してしまいました。村人たちは仏像を守るため土中深くに埋めました。
その後長らく仏像の在処がわからなく、たまたま僧恵秀が行脚してこの地にいたり、古老の家に泊まりました。
その時古老からずっと前から毎夜不思議な光を放っているという話を聞き、そこを彫って二体の仏像を発見しました。
恵秀はすぐに仏像のいたみを補修し昔の寺跡に寺院を建て仏像を安置しました。村人たちは大いに喜んで、唐喜山赤後寺と名付けて信仰しました。それを聞いた将軍足利尊氏公は荘園百石を寄進して天下泰平を祈願させました。
元亀年中(1570~73)に至り、織田信長が浅井長政と戦ったとき、この地方は戦乱の中におかれ、百石の荘園も寺院も失われてしまいました。しかし、観音様二体は村人たちによって難を逃れました。近年になって小堂を建て昔と変わらない霊験を得ているという事です。
滋賀県伊香郡上月町唐川 ☎090-3164-7486(拝観予約)
現在は米原市大久保の伊吹山長尾寺さんが担当されているそうです。
参考引用掲載 近江湖北二十七名刹巡礼
写真 ro-shin