(飛雲に乗って来迎する姿を描いた快慶作の阿弥陀三尊像)
浄土寺の創建年ははっきり特定できず、平安末期の建久年間(1190~98)のことらしい。小野市中心部の東大寺荘園「大部荘」跡。この寺の創建は奈良東大寺大仏殿復興の僧・俊乗坊重源です。
重源は京都で生まれ十三才で醍醐寺に入って出家。法然に学びます。
中国・宋へ渡り、臨済宗開祖の栄西らと帰国、名を知られるようになりました。
治承四年(1180)12月、源平争乱の折、平清盛の子重平によって反平氏方だった東大寺一山が焼失、その使命を担って活躍します。
莫大な財源捻出の拠点として伊賀(三重県)・周防(山口県)など全国七ヶ所に同寺の別所を設けその一つ播磨別所が浄土寺。つまり兵庫県下における募金集めの基地として建設されたもので、当時、重源は61才でした。

残された彼の文書によると、荘内にはいくつもの古寺、廃寺があったが修理できずに残る仏像を集め建てた一堂に安置。そこを薬師堂と呼びました。これが初期浄土寺です。
以前行基が建立した前身寺院があったとの説もありますがはっきりしません。三尊の安置されている浄土堂は建久八年(1197)像とともに完成。東大寺同様、中国宋時代の最新式建築様式を取り入れ、随所に行かされています。
(八幡社本殿・拝殿)

三尊を彫った快慶は、重源と信仰上の師弟関係にあったらしい。宋時代の仏画を手本に彫られ、衣文のヒダ、両脇侍の髪型、指の爪が宋様式をよく伝えています。
像は巨大なヒノキの寄木造りで、阿弥陀如来は高さ5.3m脇侍は各3.7m。木は狂いを防ぐため、百年近くもねかされたといいます。立像下の蓮華座には雲が描かれ、飛雲に乗って西方浄土から迎える来迎の姿を現しています。如来は右手を上げて三体とも少し前かがみになり迎え入れの姿勢。建物西側の蔀(しとみ)戸から差し込む夕陽を受け、光は床から朱色の天井に反射して像にあたり、見事なシルエットを描きます。ちょうど仏が雲上に浮かぶように見え、尊厳さに包まれます。
差し込む光を計算して設計され夏場の夕方が一番すばらしいと思います。

裏山にはミニ四国霊場八十八ヶ所があり約30分で巡礼できます。

小野市浄谷町2094 ☎0794-62-2651(宝持院)
参考引用掲載 ふるさとの古寺巡礼 ビジュアルブックス
写真 ro-shin 浄土寺パンフレット