カテゴリ:近江湖東27名刹 |
- 近江湖東<第27番 法輪山 正明寺>[ 2009-05-17 23:04 ]
- 近江湖東<第26番 阿育王山石塔寺(いしどうじ)>[ 2009-05-14 12:37 ]
- 近江湖東 <第25番 雪野山 雪野寺(龍王寺)>[ 2009-05-11 22:23 ]
- 近江湖東 <第24番 玉尾山 願成寺>[ 2009-05-07 13:24 ]
- 近江湖東 <第23番 御身山 無量院 弘誓寺>[ 2009-05-02 14:33 ]
- 近江湖東 <第22番 補陀洛山 長光寺 花の木寺>[ 2009-04-29 14:13 ]
- 近江湖東 <第21番 日牟礼山 願成就寺>[ 2009-04-26 22:37 ]
- 近江湖東 <第20番 村雲御所 瑞龍寺門跡>[ 2009-04-24 10:07 ]
- 近江湖東 <第19番 姨綺耶山 長命寺>[ 2009-04-20 23:20 ]
- 近江湖東 <第18番 繖山 桑實寺 くわのみでら>[ 2009-04-16 22:30 ]






当寺は近江湖東第二十七番結願寺です。日本では曹洞宗・臨済宗・黄檗宗の三宗を禅宗といっています。宇治の黄檗山萬福寺が黄檗宗の大本山で正明寺は中本山に位置しています。


石塔寺のはじまりは、推古天皇の飛鳥時代、聖徳太子が近江国に四十八ヶ寺の伽藍を建てられ、その後の結願の寺の寺号を本願成就寺とされました。それがこの寺です。

雪野寺には、この寺を象徴するような重要文化財指定の梵鐘があります。この梵鐘にはいろいろな伝説がありますが、特に干ばつのとき雨乞いをすれば雨が降るなど実利的なご利益があり霊験あらたかな梵鐘として名高くなって、寛弘四年(1007)天皇から「龍寿鐘殿」の勅額を賜りました。寺号はその時から「龍王寺」と改められました。










この長光寺は通称「花の木寺」と呼ばれ、次のような話が伝えられています。推古天皇の時代、聖徳太子がお妃とともに老蘚の森に仮住まいしていた時の事、太子のお妃が難産で苦しまれていた。太子は妃に「お前は仏法を信じ、一心に御仏の加護をお祈りしなさい」といわれ、妃は太子の教えを受けてその通りお祈りすると妃の願いが届いたのだろうか、西南の方から一人の童子が現れて「あなたのその願いは観音様が聞き入れてくれるでしょう。」といって美しく輝きながら童子は飛び去って行った。
そしてまもなく妃は子供を安産された。






この瑞龍寺門跡は日蓮宗で唯一の門跡寺院です。





景行天皇のころ竹内のすくねがこの山に登って柳の巨木を見つけました。
その木の前に立つと何処からともなく白髪の老人が現れて「この柳の霊木で千手、十一面、聖観音三尊一体の像を造り、それを本尊として伽藍を建立するように」と言って消え去りました。
桑實寺は天智天皇の勅願寺院として白鳳六年(677)十一月八日に開山しました。


大日如来像((1483)