竹林寺 本堂内
右京区太秦安井北御所町18
本尊拝観は要事前連絡 ℡ 075-801-1240

安井は旧市内より太秦をむすぶ太子道沿いの新興住宅街で、花園の南にあたります。
地名の起こりは後白河天皇の皇女殷富門院亮子内親王(いんぷもんいんりょうし)の安井御所跡にちなんでうまれました。
御所は後に蓮華光院となり、道円法親王(土御門帝皇子)の入寺以来、歴代法親王が住持となり、世に安井門跡といわれる真言宗の名刹となりましたが元禄八年(1695)東山安井に移り、ついで、明治維新に際して大覚寺に合併されてしまいました。
この時、同寺の鎮守社のみが安井金比羅宮として残ったばかりで他は何も残っていません。

竹林寺はこの安井の北西部に小さな堂宇を構える臨済宗妙心寺派のお寺で、本堂に「長者地蔵」とよばれる地蔵尊を安置していることで知られています。
寺伝によれば、嵯峨天皇御代、この地は仏法流布の霊地として、釈迦如来像を安置した地福寺という精舎がありましたが、その後恵心僧都(えしんそうず)が霊夢をこうむって、安井に来住し、一体の地蔵尊を安置したのがはじまりです。
あるとき、貧しい中で竹林業を営んでいた人が、この地蔵尊を深く信仰し、朝夕参拝をかかすことがありませんでした。ところがある夜の夢にあらわれ「善きかな善きかな、汝は年来われに足を運ぶこと何ぞむなしからんや。われ、汝に一つの宝を授けるにより、早朝に参詣すべし」といわれて目がさめました。
男は喜び翌朝参詣すると一個の閻浮檀金(えんぶだごん、高貴な金)の珠を授かりました。それより家運は富み栄え、いちやく長者になりました。このことが天聴に達し、地蔵堂は宝珠山の号を賜り、名も竹林寺と改め、わが身はまた竹林長者と世の人々からたたえられるようになりました。
像は高さ約1m弱、寄木造り、玉眼入り、右手に錫杖、左手に宝珠をささげる。
平安時代中期の作風を帯びています。その傍らの厨子には「竹林長者」とつたえられる小像があります。
参考引用掲載 京のお地蔵さん 竹村俊則著
写真 ro-shin