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    <title>Pilgrim　東西南北巡礼記　【関西】</title>
    <link>http://pilgrimari.exblog.jp</link>
    <description>京のおじぞうさんを紹介していきます。</description>
    <dc:language>ja</dc:language>
    <dc:creator>ro-shin</dc:creator>
    <dc:rights>Copyright 2012</dc:rights>
    <pubDate>Tue, 15 May 2012 23:05:03 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-05-15T23:05:03+09:00</dc:date>
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        <title>Pilgrim　東西南北巡礼記　【関西】</title>
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        <description>京のおじぞうさんを紹介していきます。</description>
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    <item>
        <title>（洛東）　勝軍地蔵　　清水寺本堂内</title>
        <link>http://pilgrimari.exblog.jp/15314747/</link>
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        <description>
<![CDATA[  
剣・軍旗をもつ甲冑姿<br/>
<br/>
<img class="IMAGE_LEFT" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201205/15/81/a0045381_222678.jpg" border="0" width="300" height="420" align="left"/>　地蔵尊は普通一般には僧衣をまとったび比丘の姿をしていますが、勝軍地蔵は身に甲冑を帯び、右手に剣、左手に軍旗を持った勇敢な姿をしているのが特徴です。<br/>
　これは悪行煩悩の軍に勝つ地蔵という思想から生まれたもので、その信仰は鎌倉時代後期から起こったわが国独特の地蔵信仰です。<br/>
　しかし伝説的には清水寺や愛宕山の勝軍地蔵の如く平安時代初期頃からとされる説もあって、中でも清水寺の勝軍地蔵は『元亨釈書』げんこうしゃくしょ巻九（延鎮伝）にもみえ、その霊験談は世に名高い。<br/>
　坂上田村麻呂は奥州征討に際し、清水寺の観音に戦勝を祈願して出発したが、戦いは賊軍の抵抗はげしく、矢もことごとく射つくしてしまって苦戦となった。この時、見知らぬ男が二人現れて敵の弓勢をものともせず、戦場の矢を集めて届けてくれたので官軍はたちまち態勢をもちなおし、ついに賊軍を討ち滅ぼすに至った。<br/>
　後日、凱旋した田村麻呂は清水寺へお礼に参詣し、ふと本尊の両脇侍の地蔵尊と毘沙門天の像をみると、全身に矢傷や刀傷があり、足は泥にまみれているのに大いにおどろき、さてはかの戦場の二人の男とは、この両尊の化現であったのかと深く感嘆した。<br/>
　それより「勝軍地蔵」「勝敵毘沙門天」といわれるに至ったといいます。<br/>
<br/>
　　　　　　名も高き音羽の山の軍神（いくさがみ）<br/>
　　　　　　　　　その勳（いさおし）に御代ぞ始まる<br/>
<br/>
とは、その御詠歌です。<br/>
<br/>
像は高さ1.63m甲冑の上に袈裟を着けているとのことですが、現在は本尊の右脇侍として奥深い堂内のお厨子に安置され秘仏となっています。外陣内奥の正面欄間にその姿を写した懸仏（かけぼとけ）を掲げています。<br/>
<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201205/15/81/a0045381_22594754.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center><br/>
<br/>
参考引用掲載　　　　　　　　京のお地蔵さん　　竹村俊則著<br/>
<br/>
写真　　　　　　　　ro-shin<br/>

 ]]> 
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        <dc:subject>京のお地蔵さん</dc:subject>
        <dc:creator>ro-shin</dc:creator>
    <pubDate>Tue, 15 May 2012 23:01:46 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-05-15T23:01:46+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>（洛東）　夢見地蔵　　六波羅蜜寺</title>
        <link>http://pilgrimari.exblog.jp/15029191/</link>
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        <description>
<![CDATA[  
宝物館内安置<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200707/12/81/a0045381_18181052.jpg" border="0" width="445" height="296"/></center>　仏師運慶が夢中にて感得した地蔵尊の姿をそのまま彫刻したといわれる名地蔵で仏像彫刻としてもすぐれています。<br/>
　像は高さ約1m、一木造り、彩色、玉眼入り、右手に錫杖（今欠）、左手に宝珠を捧げ持ち蓮華座上に座しています。<br/>
 切れ長の理知的な目、引き締まった頬、意志的に閉じられた唇などにハツラツとした青年のような姿が巧みに表現され仏の理想的な姿をあらわしています。<br/>
<img class="IMAGE_LEFT" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201204/12/81/a0045381_1343233.jpg" border="0" width="300" height="420" align="left"/> 夢見地蔵と言われるのは、『山州名跡志』巻三に次のように書かれています。<br/>
　運慶がある夜の夢の中で野道を歩いていると、貴僧があらわれて「そなたは日頃から地蔵尊をつくっているが、いまだその実相を見たことがない。ゆえにその作品は至当とはいいにくい。よって今ここにその本物の姿を見せるからよくよく見ておくがよい。かく言うわれは、地蔵菩薩であるぞよ。」というや、光明を放って尊容をあらわしこつ然と消えました。<br/>
　夢から覚めた運慶は大いに感動し、その子の湛慶とともに地蔵尊の真影をうつして造立したのが本像だと伝えられています。<br/>
<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200707/12/81/a0045381_18415390.jpg" border="0" width="460" height="287"/></center><center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200707/12/81/a0045381_18425539.jpg" border="0" width="445" height="296"/></center><center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200707/12/81/a0045381_1843427.jpg" border="0" width="445" height="296"/></center><br/>
京都市東山区五条通大和大路上ル東　☎075-561-6980<br/>
<br/>
参考引用掲載　　　　　　　　京のお地蔵さん　　竹村俊則著<br/>
<br/>
写真　　　　　　　　ro-shin<br/>
<br/>

 ]]> 
</description>
        <dc:subject>京のお地蔵さん</dc:subject>
        <dc:creator>ro-shin</dc:creator>
    <pubDate>Thu, 12 Apr 2012 13:48:06 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-04-12T13:48:06+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>（洛東）　目疾地蔵　　めやみじぞう</title>
        <link>http://pilgrimari.exblog.jp/14892810/</link>
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        <description>
<![CDATA[  
京都市東山区祇園町南側585<br/>
☎075-561-1273<br/>
市バス四条京阪前下車　徒歩３分<br/>
境内自由  (7時〜20時）<br/>
<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200809/15/81/a0045381_22171829.jpg" border="0" width="420" height="315"/></center>南座の東、店舗の立ち並ぶ四条通の南側にあります。ちょっと異色の唐破風（からはふう）の門構えのお寺が仲源寺です。<br/>
<img class="IMAGE_LEFT" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200809/15/81/a0045381_22234226.jpg" border="0" width="237" height="297" align="left"/>　「雍州府志」巻二によれば、鎌倉時代の安貞二年(1228)鴨川が氾濫した時、一人の異僧があらわれ、この水を防がんとすれば、鴨川の東岸に夏禹王かのうおう（洪水を鎮めた中国古代の王）の廟と弁財天社を祀るが良いといって寺の中へ入って姿が見えなくなりました。<br/>
　不審に思って中をのぞくと、一体の大きな地蔵さんが祀られていました。為兼が異僧と見えたのはこのお地蔵さんの化現であったことを知り、夏禹王と弁財天社を祀ると洪水がおさまったといわれています。<br/>
　この地蔵ははじめ、四条大橋より北東の田野のあぜ道に祀られていたので「畔の地蔵（くろのじぞう）」と呼ばれていました。ところが、知恩院や八坂神社参詣人が雨宿りに使ったので「雨止地蔵（あめやみじぞう）」と呼ばれるに至りました。<br/>
<img class="IMAGE_RIGHT" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200809/15/81/a0045381_2320259.jpg" border="0" width="278" height="370" align="right"/>　この地蔵尊は寄せ木造りの丈六の巨大な座像で玉眼入りですが、その眼に少し曇りがあってあたかも眼病にかかったように見えるので、いつしか眼病平癒祈願の信仰が生まれ、「雨止地蔵（あめやみじぞう）」が転じて「眼疾地蔵」となりました。<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
　霊元法皇の御製と伝えるその御詠歌に<br/>
<br/>
　　　　見る眼なき数多の人の嘆きには<br/>
　　　　　　　　　代わりわずらふ法（のり）のまなじり<br/>
<br/>
とうたわれたように、江戸時代には洛陽四十八願所の三十七番霊所として上下の信仰を集めました。今も場所柄もあって祇園花街の芸・舞妓さんたちの絶大な信仰を集めています。<br/>
　ちなみに為兼が建立した夏禹王と弁財天社は、今はともに廃絶し、弁財天社は大和大路通り四条上ルのところに弁財天町として、その名をとどめています。<br/>
<br/>
<br/>
参考引用掲載　　　　　　　　京のお地蔵さん　　竹村俊則著<br/>
<br/>
写真　　　　　　　　ro-shin<br/>
<br/>
<br/>

 ]]> 
</description>
        <dc:subject>京のお地蔵さん</dc:subject>
        <dc:creator>ro-shin</dc:creator>
    <pubDate>Tue, 20 Mar 2012 8:03:40 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-03-20T08:03:40+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>（洛東）　六道地蔵　　六道珍皇寺</title>
        <link>http://pilgrimari.exblog.jp/14618456/</link>
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        <description>
<![CDATA[  
<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201202/07/81/a0045381_15462836.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center>地獄に堕ちた人々を救済する地蔵<br/>
　六道珍皇寺は盂蘭盆の精霊迎えに参詣する寺として親しまれています。古くはこの六原の地にあった愛宕寺または鳥部寺の後身といわれ、弘法大師が幼少の頃久しく当寺に住した事があると伝えられる古寺です。今は臨済宗建仁寺派の塔頭寺院の一つとなっています。<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201202/07/81/a0045381_1547111.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center>　六道とは仏教のいう地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六種の迷界で、一切の衆生が善悪の業因によって必ず行くべきところとされます。<br/>
　謡曲『熊野』（ゆや）に「愛宕の寺も打ち過ぎぬ。六道の辻とかや。実（げ）におそろしやこの道は、冥土に通ふなるものを。心ぼそ鳥部山、煙の末もうち霞む云々」とうたわれた如く、ここは六道の辻の分岐点、いわばこの世とあの世の結界で冥土への入り口とされました。<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201202/07/81/a0045381_1611613.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center>　六道地蔵とは境内にある百数十体の石仏群をいったものです。中でも中央の丸彫りの石造地蔵尊は高さ2.5mの大作で、右手に錫杖、左手に宝珠をささげる通有の形ですがその形式的技法は江戸末期の造立です。その左右に並ぶ四体の地蔵石仏は室町時代の作とみられます。<img class="IMAGE_LEFT" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201202/07/81/a0045381_16124138.jpg" border="0" width="259" height="345" align="left"/>　本堂横の庭には、「篁（たかむろ）冥土通いの井戸」があります。平安の昔に篁が冥府の閻庁の役人として現世と冥界の間を行き来するときにつかったといわれています。<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201202/07/81/a0045381_16245973.jpg" border="0" width="490" height="350"/></center>小野篁が六道の辻から閻魔王宮に通ったという伝説が生まれたのはこのためで、また境内の鐘楼にかかる鐘は冥土にまで響き、亡者をこの世へ呼び返すといわれ盂蘭盆会の精霊迎えの信仰が生まれました。<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201202/07/81/a0045381_16255866.jpg" border="0" width="490" height="350"/></center><br/>
<br/>
参考引用掲載　　　　　　　　京のお地蔵さん　　竹村俊則著<br/>
<br/>
写真　　　　　　　　ro-shin<br/>

 ]]> 
</description>
        <dc:subject>京のお地蔵さん</dc:subject>
        <dc:creator>ro-shin</dc:creator>
    <pubDate>Tue, 7 Feb 2012 16:26:47 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-02-07T16:26:47+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>（洛東）　首振地蔵　　清水寺　善光寺</title>
        <link>http://pilgrimari.exblog.jp/14587460/</link>
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        <description>
<![CDATA[  
<br/>
　<img class="IMAGE_LEFT" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201202/03/81/a0045381_12471145.jpg" border="0" width="300" height="400" align="left"/> 清水寺山門左手側に通称「善光寺」と呼ばれる小堂があります。<br/>
　そこの縁先に安置されています。高さはおよそ50cm。このお地蔵さんを首振り地蔵と呼ぶのは、その首が前後左右に動かす事が出来るからです。<br/>
　この首を、思う人の住む方角へ向けて祈願すると願いが叶うと言われ、いつしか、待ち人祈願の信仰が生まれました。<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201202/03/81/a0045381_12514249.jpg" border="0" width="490" height="350"/></center>　<img class="IMAGE_RIGHT" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201202/03/81/a0045381_12522876.jpg" border="0" width="300" height="400" align="right"/>　しかしよく見ると錫杖も宝珠も持っていなくて、あるのは右手に扇子を持つだけで、しかも頭はまげを結んでいて、地蔵尊でないということは一見してわかります。<br/>
　口碑によれば、祇園の幇間（太鼓持ち）に鳥羽八という人がいて生前にこの小像をつくり、生形見として奉納したと言われています。<br/>
　それにしても、首を動かして祈願するなどとは、他に例を見ない事で、清水寺の七不思議の一つになっています。<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201202/03/81/a0045381_1304677.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center><br/>
<br/>
参考引用掲載　　　　　　　　京のお地蔵さん　　竹村俊則著<br/>
<br/>
写真　　　　　　　　ro-shin<br/>
<br/>

 ]]> 
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        <dc:subject>京のお地蔵さん</dc:subject>
        <dc:creator>ro-shin</dc:creator>
    <pubDate>Fri, 3 Feb 2012 13:01:35 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-02-03T13:01:35+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>（洛東）　子育地蔵　　西福寺</title>
        <link>http://pilgrimari.exblog.jp/14504611/</link>
        <guid isPermaLink="true">http://pilgrimari.exblog.jp/14504611/</guid>
        <description>
<![CDATA[  
京都市東山区松原通大和大路東入ル<br/>
<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201201/24/81/a0045381_1154835.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center>　東山の六原界隈は六波羅蜜寺や六道珍皇子など、地蔵尊を祀った寺院は多いです。この寺もその一つで、寺伝によれば弘法大師が六道の辻と呼ばれるこの地に辻堂を建て、自作の地蔵像尊を祀ったことに始まるといわれています。<br/>
　嵯峨天皇の皇后　橘　嘉智子（たちばなのかちこ）が皇子正良親王の病気平癒を祈願したところ、無事成長ののち仁明天皇となったのに因んで、一般に「子育地蔵」と呼ばれるようになりました。<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201201/24/81/a0045381_1222868.jpg" border="0" width="490" height="350"/></center>　皇后は延暦五年(786)の生まれ、橘氏の出身で、年若くして神野（かんの）親王（嵯峨天皇）に見初められ妃となりました。生前仏教を厚く信じ、嵯峨庄内に檀林寺を建立したので檀林皇后といわれました。嘉祥三年(850)、仁明天皇の病気を憂えて出家し、天皇崩御の一ヶ月後、冷泉院にて亡くなられました。陵は嵯峨鳥居本深谷町にあって、嵯峨の清涼寺には供養塔と伝える石造五十層塔があって皇后と嵯峨とのつながりが深いといわれています。<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201201/24/81/a0045381_1273732.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center>　西福寺との関連性はあきらかではありませんが、本堂には近年造られた皇后の等身大の美しい木造があり、『檀林皇后九相図絵』を有しています。当寺は慶長八年(1603)安国寺恵瓊の菩提を弔う為に井上安芸守が蓮性上人を開山に迎えて建立しその後、亨保十二年(1727)関白二条綱平が亡父のために再興した浄土宗のお寺と伝わっています。<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201201/24/81/a0045381_1232049.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center><img class="IMAGE_LEFT" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201201/24/81/a0045381_1257618.jpg" border="0" width="300" height="420" align="left"/>　本堂にある本尊阿弥陀如来座像（室町時代）は胎内に長禄元年(1457)の墨書銘のある藤原風の立派な来迎像で、この寺の建立より古いものなので他所より移されたものと思われます。<br/>
　地蔵像はその前にあって高さ約20cm、錫杖や宝珠を持たず、これは両手を膝の上に合わせて蓮華座上に趺座する姿となっています。その温和な表情は世に「子育地蔵」として迎えられ崇敬されました。<br/>
　「子育地蔵」は「子安地蔵」または「子授地蔵」とともに地蔵菩薩の広大無辺な慈悲の一端を象徴したものです。<br/>
<br/>
参考引用掲載　　　　京のお地蔵さん　　竹村俊則著<br/>
<br/>
写真　　　　　　　　ro-shin<br/>

 ]]> 
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        <dc:subject>京のお地蔵さん</dc:subject>
        <dc:creator>ro-shin</dc:creator>
    <pubDate>Tue, 24 Jan 2012 13:02:31 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-01-24T13:02:31+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>（洛東）　洗い地蔵　寿延寺</title>
        <link>http://pilgrimari.exblog.jp/14380711/</link>
        <guid isPermaLink="true">http://pilgrimari.exblog.jp/14380711/</guid>
        <description>
<![CDATA[  
京都市東山区大黒町通松原下る北御門町254<br/>
<br/>
　℡075-561-7855<br/>
<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201201/10/81/a0045381_1292122.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center> 　地蔵尊に水をかけて「たわし」で洗い清めることで苦患が取り除かれるといわれています。鴨川にかかる松原橋を東へ渡った大黒町にあります。<br/>
　この町は清水寺の参詣路にあたる松原通を南に折れたところにあり昔から人家が多くにぎやかなところです。<br/>
<br/>
　<img class="IMAGE_LEFT" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201201/10/81/a0045381_12522789.jpg" border="0" width="300" height="400" align="left"/>日蓮宗のお寺で、地蔵堂は表門より本堂に通じる狭い石だたみの通路に面していて、像は高さ約60cm、花崗岩の丸彫りからなる立像です。<br/>
　地蔵尊のように見えますが、錫杖も宝珠も持っていません。頭部に髪を束ね、両手を胸で合わせているのが違っています。<br/>
　正しくは浄行菩薩といい、法華経による四菩薩の一人で水徳を持って身体の苦患を洗い清め守り給うと言われます。<br/>
　祈願に当たっては胃の悪い人は地蔵尊の胃のあたりを、足にけがをした人は足を、一生懸命「たわし」でこすると願い事が叶うと言われ、宮川町の芸妓は旦那の浮気止めに地蔵尊の”前”をこすると、不思議に効果があるといわれています。<br/>
<br/>
参考引用掲載　　　　　　　　京のお地蔵さん　　竹村俊則著<br/>
<br/>
写真　　　　　　　　ro-shin<br/>
<br/>

 ]]> 
</description>
        <dc:subject>京のお地蔵さん</dc:subject>
        <dc:creator>ro-shin</dc:creator>
    <pubDate>Tue, 10 Jan 2012 14:47:05 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-01-10T14:47:05+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>すみよっさんへ初詣</title>
        <link>http://pilgrimari.exblog.jp/14318070/</link>
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        <description>
<![CDATA[  
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201201/03/81/a0045381_1710210.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center>　摂津国の一の宮で、住吉神社の総本社です。大阪の人たちは、住吉大社のことを「すみよっさん」と親しみを込めて呼びます。<br/>
　私も毎年、新春はすみよっさんから始めます。<br/>
　商売繁盛の木のお札と「住吉おどり」の縁起物を授かり、おみくじをひきます。今年は四番の凶でした。でもがっかりはしません。<br/>
　今年は心が乱れやすい、心をなかなか決められないというお告げです。幸運のカギは鈴。さっそくお守りつきの鈴を買って携帯のストラップにつけました。<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201201/03/81/a0045381_16341360.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center>　住吉大社はお祓いの神様、航海安全の神様（釣り人のお守りや大漁旗などがあります）和歌の神様、農耕の神様です。<br/>
　縁起土産物の「住吉踊り」は、住吉大社に伝わる無形文化財で御田植神事の中の住吉踊りをかたどった縁起物です。住吉踊りを子供達が踊っていました。<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201201/03/81/a0045381_17171318.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center>
 ]]> 
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        <dc:subject>未分類</dc:subject>
        <dc:creator>ro-shin</dc:creator>
    <pubDate>Tue, 3 Jan 2012 17:20:26 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-01-03T17:20:26+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>新年あけましておめでとうございます。</title>
        <link>http://pilgrimari.exblog.jp/14299312/</link>
        <guid isPermaLink="true">http://pilgrimari.exblog.jp/14299312/</guid>
        <description>
<![CDATA[  
<br/>
平成23年は京都のお地蔵さんを巡りました。<br/>
<br/>
沢山の方に来ていただいてありがとうございました。<br/>
<br/>
今年もひきつづき、京都のお地蔵さんを巡りたいと思っています。<br/>
<br/>
みなさまにとっていい年になるようにお祈り申し上げます。<br/>
<br/>
<br/>
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　元旦
 ]]> 
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        <dc:subject>未分類</dc:subject>
        <dc:creator>ro-shin</dc:creator>
    <pubDate>Sun, 1 Jan 2012 0:11:23 +0900</pubDate>
    <dc:date>2012-01-01T00:11:23+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>（洛西）　長者地蔵　早朝に参詣すべし</title>
        <link>http://pilgrimari.exblog.jp/14261845/</link>
        <guid isPermaLink="true">http://pilgrimari.exblog.jp/14261845/</guid>
        <description>
<![CDATA[  
<br/>
　竹林寺　本堂内<br/>
右京区太秦安井北御所町18<br/>
本尊拝観は要事前連絡　　℡ 075-801-1240<br/>
<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201112/27/81/a0045381_14263478.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center>　安井は旧市内より太秦をむすぶ太子道沿いの新興住宅街で、花園の南にあたります。<br/>
　地名の起こりは後白河天皇の皇女殷富門院亮子内親王（いんぷもんいんりょうし）の安井御所跡にちなんでうまれました。<br/>
　御所は後に蓮華光院となり、道円法親王（土御門帝皇子）の入寺以来、歴代法親王が住持となり、世に安井門跡といわれる真言宗の名刹となりましたが元禄八年(1695)東山安井に移り、ついで、明治維新に際して大覚寺に合併されてしまいました。<br/>
　この時、同寺の鎮守社のみが安井金比羅宮として残ったばかりで他は何も残っていません。<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201112/27/81/a0045381_14385519.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center>　竹林寺はこの安井の北西部に小さな堂宇を構える臨済宗妙心寺派のお寺で、本堂に「長者地蔵」とよばれる地蔵尊を安置していることで知られています。<br/>
　寺伝によれば、嵯峨天皇御代、この地は仏法流布の霊地として、釈迦如来像を安置した地福寺という精舎がありましたが、その後恵心僧都（えしんそうず）が霊夢をこうむって、安井に来住し、一体の地蔵尊を安置したのがはじまりです。<br/>
　あるとき、貧しい中で竹林業を営んでいた人が、この地蔵尊を深く信仰し、朝夕参拝をかかすことがありませんでした。ところがある夜の夢にあらわれ「善きかな善きかな、汝は年来われに足を運ぶこと何ぞむなしからんや。われ、汝に一つの宝を授けるにより、早朝に参詣すべし」といわれて目がさめました。<br/>
　男は喜び翌朝参詣すると一個の閻浮檀金（えんぶだごん、高貴な金）の珠を授かりました。それより家運は富み栄え、いちやく長者になりました。このことが天聴に達し、地蔵堂は宝珠山の号を賜り、名も竹林寺と改め、わが身はまた竹林長者と世の人々からたたえられるようになりました。<br/>
　像は高さ約1m弱、寄木造り、玉眼入り、右手に錫杖、左手に宝珠をささげる。<br/>
　平安時代中期の作風を帯びています。その傍らの厨子には「竹林長者」とつたえられる小像があります。<br/>
<br/>
参考引用掲載　　　　　　　　京のお地蔵さん　　竹村俊則著<br/>
<br/>
写真　　　　　　　　ro-shin<br/>
<br/>

 ]]> 
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        <dc:subject>京のお地蔵さん</dc:subject>
        <dc:creator>ro-shin</dc:creator>
    <pubDate>Tue, 27 Dec 2011 15:16:46 +0900</pubDate>
    <dc:date>2011-12-27T15:16:46+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>（洛西）　道しるべ地蔵</title>
        <link>http://pilgrimari.exblog.jp/14111782/</link>
        <guid isPermaLink="true">http://pilgrimari.exblog.jp/14111782/</guid>
        <description>
<![CDATA[  
<br/>
　右京区花園扇野町　JR「花園」下車徒歩約5分<br/>
<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201112/03/81/a0045381_2013936.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center>　道しるべを兼ねた珍しいお地蔵尊があります。法金剛院西側の道を北へ約300メートル行くと、東から来る下立売通と交差する四つ辻にでます。地蔵堂はその南西角にあって、小堂内に小さな石造の地蔵尊が祀られています。高さ50cmほどで軟砂岩製、舟形光背を負い、両手を胸の前で合わせて宝珠を下げた姿を薄肉彫りとしています。<br/>
　変わっているのは、その光背の左右に「左うずまさ」「右あたご」と書かれていて、台座の蓮弁には「為独参成（独りで参るためなり）と一字ずつ陰刻されていて、ここから右（北）へ行けば御室をへて愛宕山に至り、左（南）へ行けば太秦をへて嵯峨嵐山に至る道の分岐点であることを示しています。　<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201112/03/81/a0045381_20295397.jpg" border="0" width="400" height="300"/></center>この地蔵尊は道路交通の安全と道しるべを兼ねて造立されたと見られ、その時期は光背に向かって右側面に「宝暦七丁五年(1757)六月二十四日」と刻まれています。江戸時代の中頃と推測されます。<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201112/03/81/a0045381_20393272.jpg" border="0" width="400" height="300"/></center><br/>
<br/>
参考引用掲載　　　　　　　　京のお地蔵さん　　竹村俊則著<br/>
<br/>
写真　　　　　　　　ro-shin<br/>

 ]]> 
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        <dc:subject>京のお地蔵さん</dc:subject>
        <dc:creator>ro-shin</dc:creator>
    <pubDate>Sat, 3 Dec 2011 20:42:28 +0900</pubDate>
    <dc:date>2011-12-03T20:42:28+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>（洛西）　金目（かなめ）地蔵</title>
        <link>http://pilgrimari.exblog.jp/14067233/</link>
        <guid isPermaLink="true">http://pilgrimari.exblog.jp/14067233/</guid>
        <description>
<![CDATA[  
　法金剛院　地蔵堂内<br/>
　　右京区花園扇野町49 (関西花の寺）<br/>
<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201111/25/81/a0045381_1664812.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center>　法金剛院は鳥羽天皇の中宮・待賢門院が清原夏野の山荘地を利用して造営した皇室ゆかりの寺だけあって、今も本堂には本尊阿弥陀如来像（重文・平安）をはじめ多くの仏像を有しています。庭園も平安時代の面影を伝えています。<br/>
　鎌倉時代には円覚上人によって復興され、律宗唐招提寺の末寺となりましたが、それまでは八宗兼学の道場でした。<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201111/25/81/a0045381_16334875.jpg" border="0" width="400" height="300"/></center>　法金剛院には二体の地蔵尊があり、地蔵堂に安置されているのが「金目地蔵」と称する丈六の巨像（重文）です。寄せ木造り、彩色とし、右手をさしのべて与願印を結び、左手に宝珠を持って蓮華座上に結跏趺坐しています。円満な相好に対し頭部がやや大きく膝が小さいが、比例の整った定朝様の仏像とは異なり、藤原時代の末期の温雅な様式をあらわしています。<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201111/25/81/a0045381_16353913.jpg" border="0" width="400" height="300"/></center>　金目地蔵とよばれるようになったのはよくわかりませんが、この地蔵尊は、機に応じて清願を成就してくれるので世人は「協（かなえ）地蔵」と呼んでいました。それが後に、「要（かなめ）地蔵」となり、なまって「金目地蔵」となったようです。<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201111/25/81/a0045381_1644132.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center> 金目地蔵はもともとは、境内の南端、南大門の東にあって、地蔵院と称していました。それが、地蔵院の廃亡後、法金剛院の門前の下立売通に面した小堂に移され、次いで昭和45年(1970)境内の整備に際して現在の地に移りました。<br/>
　普段は見ることはできませんが、毎月23日に特別開扉されます。<br/>
<br/>
参考引用掲載　　　　　　　　京のお地蔵さん　　竹村俊則著<br/>
<br/>
写真　　　　　　　　ro-shin<br/>
<br/>

 ]]> 
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        <dc:subject>京のお地蔵さん</dc:subject>
        <dc:creator>ro-shin</dc:creator>
    <pubDate>Fri, 25 Nov 2011 16:51:18 +0900</pubDate>
    <dc:date>2011-11-25T16:51:18+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>（洛西）　将軍地蔵</title>
        <link>http://pilgrimari.exblog.jp/13997857/</link>
        <guid isPermaLink="true">http://pilgrimari.exblog.jp/13997857/</guid>
        <description>
<![CDATA[  
金蔵寺　　西京区大原野石作町1639<br/>
<br/>
<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200704/14/81/a0045381_641593.jpg" border="0" width="500" height="340"/></center>　　ここの地蔵尊は天応元年(781)大和国（奈良）大安寺の僧慶俊が名刹を厭って愛宕山にのぼり、愛宕神社の祭神のひとつで火の神といわれる迦倶槌の命の本地仏として祀ったのが起こりで、古来火除け.火伏せの守護神として仰がれました。<br/>
　とくに武家の祟敬が厚く、これを信仰すれば必ず勝利を得ると信じられ、武士階級の興隆によって次第に尊崇されるに至りました。<img class="IMAGE_LEFT" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201111/13/81/a0045381_19525698.jpg" border="0" width="280" height="392" align="left"/><br/>
　豊臣秀吉は朝鮮出兵にあたって、神社の神宝笹丸（重文）を乞いうけて出陣し、徳川家康は武運長久を祈って江戸は芝の愛宕山に神霊を勧請しました。<br/>
　中でも明智光秀が天正十年(1582)五月、愛宕山に参籠し、ひそかに織田信長打倒の祈願を行ったことは有名です。<br/>
　愛宕の将軍地蔵は、武士には主として将軍の地蔵尊として、一般庶民には防火の神として全国的に広く分祀されるようになりました。<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200704/14/81/a0045381_6422659.jpg" border="0" width="357" height="238"/></center>神仏分離令により元、愛宕山白雲寺のご本尊、火防将軍愛宕大権現を、権現堂に安置しています。<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200704/14/81/a0045381_643753.jpg" border="0" width="355" height="242"/></center>717年この山中で隆豊禅師は向日明神と出会い楠の霊木を刻んで本尊とし一宇を創建しました。728年には聖武天皇より金蔵寺の寺号を賜り都の西方を守護する道場として栄えました。その後応仁の乱の兵火で堂塔を失い元禄四年(1691)桂昌院によって再建されたのが現存する堂塔です。<br/>
<br/>
 参考引用掲載　　　　　　　　京のお地蔵さん　　竹村俊則著<br/>
<br/>
写真　　　　　　　　ro-shin<br/>

 ]]> 
</description>
        <dc:subject>京のお地蔵さん</dc:subject>
        <dc:creator>ro-shin</dc:creator>
    <pubDate>Sun, 13 Nov 2011 20:03:09 +0900</pubDate>
    <dc:date>2011-11-13T20:03:09+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>（洛西）　埋木（うもれぎ）地蔵</title>
        <link>http://pilgrimari.exblog.jp/13904123/</link>
        <guid isPermaLink="true">http://pilgrimari.exblog.jp/13904123/</guid>
        <description>
<![CDATA[  
<br/>
　広隆寺霊宝殿内<br/>
右京区太秦鶴岡町32 tel 075-861-1461<br/>
<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201110/29/81/a0045381_18151130.jpg" border="0" width="480" height="343"/></center>　『埋木地蔵菩薩記』によれば、大堰（おおい）の里の木こりが瑞相をあらわした菩提樹の朽木から切り出した霊験あらたかな地蔵で、久安六年(1150)の大火、承久三年(1221)の盗難と二度の災難にあったのが、のちに「埋木」になったともいわれていますが、その度に奇瑞をあらわして無事でした。<br/>
　<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201110/29/81/a0045381_20171330.jpg" border="0" width="470" height="353"/></center>太秦の広隆寺は多くの仏像を有することで有名です。講堂の須弥壇上に阿弥陀三尊の一体ととして安置されている地蔵座像（重文・平安）で、高さ1.82m、一木彫、右手を膝の上に曲げて与願印とし、左手に宝珠を捧げています。宝珠を持つ地蔵としては最古の遺品です。<br/>
　埋木地蔵も霊宝殿内に安置されていて、立像（重文・平安）で高さ91cmと小さく、一本彫り、右手を垂れて与願印とし、左手に宝珠をl捧げているのは変わりないですが、右肩を脱いでいるのが珍しいです。<br/>
<br/>
　境内にある腹帯地蔵<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201110/29/81/a0045381_20182966.jpg" border="0" width="400" height="286"/></center><br/>
<br/>
参考引用掲載　　　　　　　　京のお地蔵さん　　竹村俊則著<br/>
<br/>
写真　　　　　　　　ro-shin<br/>

 ]]> 
</description>
        <dc:subject>京のお地蔵さん</dc:subject>
        <dc:creator>ro-shin</dc:creator>
    <pubDate>Sat, 29 Oct 2011 20:22:15 +0900</pubDate>
    <dc:date>2011-10-29T20:22:15+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
        <title>（洛中）　六臂（ろっぴ）地蔵</title>
        <link>http://pilgrimari.exblog.jp/13878741/</link>
        <guid isPermaLink="true">http://pilgrimari.exblog.jp/13878741/</guid>
        <description>
<![CDATA[  
　智恵光院　地蔵堂内<br/>
　上京区智恵光院前之町601  tel075-441-5920<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201110/25/81/a0045381_17561213.jpg" border="0" width="490" height="350"/></center><br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201110/25/81/a0045381_16582892.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center>　智恵光院は西陣織物問屋街のほぼ中央にあって、門前の道路は寺名に因んで智恵光院通りとよばれています。地蔵堂は本堂に向かって左にあって、四注造りとし、前面に入母屋造の拝所を備えた立派な建物です。工事中で地蔵堂の写真は撮りませんでした。<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201110/25/81/a0045381_1775958.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center>　ここのお地蔵さんは、腕（臂）が六本あります.<br/>
<img class="IMAGE_LEFT" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201110/25/81/a0045381_17322450.jpg" border="0" width="280" height="392" align="left"/> 二本は胸の前で両手を合わせ、右の他の二本には錫杖と柄香炉、左の他の二本には宝珠と宝幡を持っています。頭部には大きい円頭光を負い、蓮華座上に立っています。江戸時代の作です。六道能化の六地蔵を一体として表現したものです。<br/>
　六地蔵は現世と冥界を結び、地獄に堕ちた亡者を救済する菩薩として信仰されました。<br/>
　智恵光院は鎌倉時代の永仁二年(1294)鷹司家の始祖鷹司兼平が自家の菩提寺として創建された、浄土宗知恩院を本山とするお寺です。<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/201110/25/81/a0045381_17551388.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center><br/>
<br/>
参考引用掲載　　　　　　　　京のお地蔵さん　　竹村俊則著<br/>
<br/>
写真　　　　　　　　ro-shin<br/>

 ]]> 
</description>
        <dc:subject>京のお地蔵さん</dc:subject>
        <dc:creator>ro-shin</dc:creator>
    <pubDate>Tue, 25 Oct 2011 17:56:58 +0900</pubDate>
    <dc:date>2011-10-25T17:56:58+09:00</dc:date>
    </item>
    </channel>
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