法語=聞仏真言即得歓魂大阪府東大阪市南荘町14-20 ℡0729-85-1185
弘法大師が京都から高野山へ向かう道中、止宿のため当地の豪族額田首高皆人が建立した由緒ある寺で真言宗の古刹。
額田の豪族高内重行が1259年に先祖の旧記を記した『ぬかた縁起』に「額田寺は弘仁年中に弘法大師高野山を開き京より南山に至り、平城より難波へ越し給う路次の止宿のために額田の首高内皆人の皇子の社のかたわらに一寺をいとなむ・・・・」とあり、弘仁年中に弘法大師の宿所として高内皆人が額田寺を建立したと記されています。
地蔵堂
本堂に向かって左方隅にあります。半跏思惟像像のすがたの一寸変わった地蔵像です。
人々は皆大師に帰依し、大師もまた自ら身丈一尺七寸余の本尊薬師如来を刻し脇士に日光月光十二神将を安置したと言われます。現在の額田寺周辺に、旧寺の存在を示す小字名として、寺垣内、寺の前、寺の西、寺の馬場などの地名が残り、昭和34年〜35年には付近の道路や水田で鎌倉時代から室町時代の古瓦が見つかっています。このことから旧額田寺堂跡が付近一帯に広がっており、かつては広大な寺観を誇る名刹であったことがわかります。
惜しいことに昭和14年の火災で大師作といわれる本尊は焼失してしまい、現在はその後に迎えられた金色の本尊薬師如来が祀られています。
額田戎神社
近鉄額田駅下車、西側、大阪方面からは左手の方、改札を出て階段を下りて右手に少し歩くと左へ坂を下って行きます。しばらく下りて行くと右手に白塀のお寺が見えます。これが23番の玄清寺です。玄清寺は解りやすいのですが、額田寺は道から見えませんので迷ってしまいます。玄清寺を通り過ぎて次の角を左に曲がると大きな建物があります。その裏手に額田寺があります。
額田戎神社は、玄清寺を通り過ぎて次の角を右に曲がるとすぐです。
参考資料
(河内西国巡礼)