医王山薬田院 金剛寺 |
蘇我馬子の墓といわれる石舞台古墳から飛鳥川沿いに少し歩いて行くと「坂田金剛寺址」の石碑があります。そこから小高い丘へ坂道を上って行くと一番上に「金剛寺」があります。その前に石舞台を紹介しておきます。
飛鳥寺の大仏を造った名工・鞍作止利一族が建立した坂田金剛寺ゆかりの寺院です。
仏教は欽明天皇の時に伝えられ、蘇我と物部の争いの後、日本に伝承されるようになったと伝えられていますが、実際はこれ以前に、渡来人によって私的に伝えられ密かに信仰していたとも言われています。
坂田金剛寺も継体天皇の十六年(522)に朝鮮半島(中国南朝の説も)から司馬達等が来日し、飛鳥の坂田に草庵を造り仏像を祀ったことに始まります。この司馬達等が鞍作止利の祖父にあたります。鞍作氏はもともとは鞍をはじめとする馬具などの制作に携わった技術者集団であったと考えられ、その人々が、仏工や仏師になっていきました。なかでも止利は冠位十二階の中でも大徳・小徳につぐ大仁(だいじん)という高い冠位を与えられるほど実力が認められていました。飛鳥寺の大仏や法隆寺の金堂釈迦三尊像など造っています。
奈良県明日香村坂田408 ☎0744-54-3661
参考引用掲載 聖徳太子の寺を歩く
写真 ro-shin