(洛中) 染殿地蔵 そめどのじぞう |
中京区新京極通四条上ル tel075-221-3648
境内自由 阪急「河原町」下車 徒歩3分
当院は一般には「染殿地蔵」と呼ばれていますが、正しくは染殿院と号する時宗の寺で、もとこの付近にあった金蓮寺(こんれんじ)の塔頭の一つでした。十住心院とも敬礼寺(きょうらいじ)とも号し、弘法大師が「十住心論」をあらわしたところと言われています。 かって釈迦如来を祀っていた事から、四条京極釈迦堂ともいいましたが、新京極の開設に伴い、本来の金蓮寺が移転したのに対して染殿院はここへ残りました。
堂内厨子に安置する本尊地蔵菩薩像は秘仏のため拝観する事は出来ませんが、高さ2m余りの裸形立像で弘法大師の自作といわれています。
文徳天皇の皇后藤原明子(あきらけいこ)は、父良房の邸宅染殿を住居としていたので、染殿皇后と呼ばれていました。
皇后は若年の頃本地蔵尊に祈って清和天皇を降誕したので、これに因んで染殿地蔵と称し、安産守護の信仰が生まれました。
暦応年間(1338~42)夢窓国師が「苔寺」として有名な西芳寺の庭を造ったときのことです。
一人の異僧があらわれ、大石を心のままに動かして、たちまちにして庭を出来上がらせました。国師は怪しみ「貴僧はいずれの方ですか」と尋ねると「四条あたりの者です」というので、しきりに国師の袈裟をのぞむので、それを与えると、その代わりに手にした錫杖を残して立ち去りました。
後日、国師は所用があって四条住心院に立ち寄って染殿地蔵の戸帖を開いてみると、地蔵尊は国師が与えた袈裟をかけ手には錫杖がないのを見て、さてはかの異僧とは当地地蔵の化身であったかと知り、深く感動したと言われています。
参考引用掲載 京のお地蔵さん 竹村俊則著
写真 ro-shin