(洛中) 縄目地蔵 なわめじぞう |
市バス「壬生寺道」下車徒歩5分
壬生寺は正暦二年((991)園城寺(三井寺)の快賢僧都が仏師、定朝に一体の地蔵尊を彫らせ、これを本尊として安置したのが始まりです。
創建以来本尊の霊験が朝野に広まり、白河天皇や鳥羽上皇の行幸(みゆき)があり、白河天皇からは地蔵院の寺号を賜りました。
それはある時、武蔵国(今の東京都、埼玉県)の住人香勾高遠(こうわたかとう)が敵に追われて壬生寺へ逃げ込んだときのことです。寺僧と思われる一人の法師があらわれ、血刀を下げた高遠をみて「そのような姿では逃げられまい」といって、とっさに念珠と太刀をとりかえさせました。
まもなく寄手の者が四五十人ばかりやって来て境内を捜査しましたが、仏前でしきりに念珠を繰って念仏を唱えている高遠を見過ごし、袖の下に太刀を隠し持った法師を見つけて高遠と思い違いをし、法師を高手小手に縛り上げ牢屋の中に押し込めました。
これは地蔵尊が高遠の身代わりとなってその苦難を救ったもので、それより世人は「縄目地蔵」と称して崇め祀ったと言われます。
この地蔵尊は右足を曲げ、左足を下げて座る半跏像でしたが、昭和三十七年(1962)惜しくも不審火によって焼失しました。現在の本尊は奈良唐招提寺から移したもので高さ1.7m、一木彫り、右手を垂れ左手に宝珠を捧げる立像で、重要文化財に指定されています。そのお顔は円満相好にして体躯も重量感に富み、平安時代前半の古仏です。
参考引用掲載 京のお地蔵さん 竹村俊則著
写真 ro-shin