九十九王子(くじゅうく)について |
熊野九十九王子は、京都から熊野三山への道中、難行苦行の信仰の道を繋ぐために設けられた神社で、主として平安末期の十二世紀に貴族、皇族の熊野詣に際し、大阪の窪津王子にはじまり、紀伊路、中辺路の沿道に急速に組織されたものと思われます。
王子社とは熊野権現の御子神を祀る分社で、水垢離(みずごり)潮垢離(しおごり)などの禊を行なって身を清め、心新たに熊野の地を遥拝し、また和歌や神楽を奉納し経供養などを行って旅の安全を祈る場であると同時に休養をとる宿でもありました。
九十九王子とは実数ではなく数が多いという意味で100が熊野三山を指すともいわれています。
紀州徳川家初代藩主頼宣公の命により三代にわたって九十九王子の調査、復元が行なわれました。
王子の名が史料に登場するのは1081年藤原為房の日記で少なくとも11世紀には王子と呼ばれる神社があったことになります。平安末期には七王子、1109年には有田川以東に24ヶ所、さらに鎌倉時代には新宮・那智間を除いても81ヶ所に達していました。
現在は101を記録しています.
参考引用掲載 熊野古道 著者高木美千子