七宮神社 (しちのみやじんじゃ) |
塩槌山と七の宮神社
ちょうどその頃、会下山の南に大きな山があった。これを塩槌山とよんでいた。
「この山を削って、築島をつくろう」
ということになって、応保元年二月から、いよいよ昼夜をわかたぬ大工事がはじめられた。だが、少し海中に州ができ始めると、激しい風が吹き波が高まって土砂を流し去ってしまうのである。いくどもいくどもそれが繰り返された。人夫も清盛たちもつかれ切った。
「いったい、どうして島ができぬのであろう」
という思案顔の清盛の所に、家臣の阿波民部重能がやってきた。
「殿、わかりましたぞ。島の築けぬ原因が。われらが削りつぶしていた塩槌山は神のすまいだったのです」
「ですから、心をつくしてこの神に謝罪し、社をよそに移し祀って、築島の完成をお祈りしてはいかがでしょう」
と重能はいった。
「そのとおりにしよう」
こうして北宮内町に祀られたのが、七宮神社だという。そして、この神に祈願し、まもなく築島建設もはかどって島は完成した。
なお、削り去られた塩槌山はなくなってしまったが、一説には羽坂通あたりにその山の頂があったともいう。
七宮という名前は、神功皇后が7番目に巡拝されたからだという言い伝えのほかに、御祭神である大己貴命が大国主命・大物主命・葦原醜男・八千矛神・大国玉命・顧国玉神という7つの呼び名を持つ神さまであるがゆえに七宮神社とされたという説もあります。
参考引用掲載 神戸の伝説
写真 ro-shin