烏原(からすわら)と住蓮坂 |
奈良時代に摂津の国をめぐっていた行基がこの村にやってきた時、上野が故郷にとてもよくにていた。そこで行基はそこに聖徳太子が彫られた観音さまを安置して観音寺という寺を開いた。この観音寺は鎌倉時代にはすっかり荒廃していた。
安元年間(1176~1177)に法然上人の弟子の住蓮(じゅうれん)がここにやってきて寺を復興し阿弥陀如来を本尊にして願成寺(がんじょうじ)と改めた。福原遷都の時は京の五山にまねて、この寺は福原新都の第二位に置かれたという。念仏上手な住蓮は、この上野の願成寺にいてよく兵庫の町へ仏教を広めに出ていった。彼が兵庫へ布教に行くときに通ったことにちなんで、烏原から石井町への山道を今でも住蓮坂と呼んでいる。
このとき最後に
「われは、阿弥陀の力によって、蓮に化身する。そうすれば、わが身の尊さがわかるであろう」
と叫んで死んでいった。死後そのとおり蓮になり、上野村へと飛んで帰ってきた。すると、その種を求めて多くのカラスが群れ集まりギャーギャー鳴きさわいだ。その声で村人が集まり中連坊の首を見つけて、手厚く葬ったという。
また、彼の切られた首をカラスがくわえて近江国から上野の願成寺まで運んできたともいう。ともかくそれから、この地を烏原と呼ぶようになった。
参考引用掲載 神戸の伝説
写真 ro-shin