平安時代初期、弘仁三年(812)に空海が現在の明石城本丸あたりに楊柳寺を創建したことから始まります。その頃、住職の覚証が夢のお告げによって柿本人麻呂を祀って人丸社ができます。神社と隣り合わせに月照寺があり、明治維新の神仏分離令がでるまでは神社と寺院は一体でした。
戦国時代、明石地方は三木に本城を構える別所氏の支配地でした。別所氏が織田信長の家臣・羽柴秀吉に滅ぼされ信長の死後は秀吉の直轄地になりました。
慶長五年(1600)関ヶ原の戦いで勝利を収めた徳川家康は大名の配置転換を推し進め、その一つとして三河国吉田(豊橋)から池田輝政が播磨国に移封(国替え)されました。
大坂夏の陣で豊臣氏滅亡後、元和三年(1617)二代将軍徳川秀忠は信濃国松本から小笠原忠政を明石に移封しました。忠政ははじめ舟上城(明石市船上町)を居城としていましたが、江戸幕府の命によって西国街道と明石海峡を眼下におさめる人丸山に新城を築くこととなったため、月照寺と人丸社は現在地に移転させられました。
月照寺は子午線上に建っています。境内からは天文台や明石海峡大橋が一望できます。
ふれ愛観世音さま 西村公朝作
特に視力の弱い方々(身体に痛みのある方)にお救いの誓願をお持ちです。静かに眼を閉じてふれてください。必ずおかげを受けていただくことができます。
山門内庭に洗心水の地があって、水琴窟が妙なる音色を奏でています。その池の傍らに、北村西望氏作の人丸観世音菩薩の立像が安置されています。この尊像は身丈2m10あって月照寺の鎮守神、柿本人麿にちなんで「人丸観音」と名付けられています。
参考引用掲載 ひょうご社寺巡礼ほか
写真 ro-shin