水枯れぬ「染殿井」
門をくぐり境内に入ると右手に「糸がよく染まる」といわれ明治時代まで染め物業者が水を汲みにきていたといわれる井戸「染殿井」がある。織物産地・西陣のほぼ中央に位置する寺院らしい。同院は嵯峨天皇(786~842)の病を弘法大師が祈祷で退散させたことから、弘法大師が同地をもらい受けて弘仁十二年(811)に建立したと伝わる。創建当時、東は安居院(現代の大宮)、南は五辻、西は千本、北は船岡山の八丁四方が境内地として、大師堂など二十一のお堂が建ち並んでいたという。
嵯峨天皇が「雨」、弘法大師が「宝」と書いた額を寄贈したのが、寺の名前の由来という。当時のものでないようだが「雨」「宝」の額が現在も掛かっている。
その後、応仁の乱(1467~77)で建物は焼失、さらに天明の大火(1788)でも二度目の焼失に遭うが、二度とも仏像などは近くの船岡山に持ち出して災難を免れたという。現在、重要文化財の木造千手観音立像(平安時代)が残る。
天明の大火後、現在の境内(約1500平方メートル)で、本堂を取り巻くように不動・稲荷・庚申・融通・大師の各堂を再興した。
本堂には本尊・歓喜天が安置されている。
境内の片隅には約2m四方の石組みの井戸「染殿井」がある。深さ約12mで水飢饉のときも枯れたことがなく、その度に住民の飲料水としても使われたという。
境内では4月中旬に遅咲きの「歓喜桜」や珍しい黄緑色の花をつける「御衣光」という品種の桜が咲き、歴史を感じさせるお堂に彩りを添える。織田信長が上杉謙信に贈ったという「洛中洛外図」屏風に描かれている「時雨の松」とされる松も植わっている。
昭和11年(1936)から住職を務める谷田隆雄さんは「近くにマンションなどが建ち、西陣の景観は変わってきた。昔のままでいて欲しいが、時代の流れでしょう」と寂しそうに話していた。
参考引用掲載 京の社寺を歩く
写真 ro-shin