等持院(とうじいん) |
京都市北区等寺院北町
「足利三代木像梟首事件(あしかがさんだいもくぞうきょうしゅじけん)」は、幕末の文久三年(1863)に、室町幕府初代将軍足利尊氏、二代義詮(よしあきら)、三代義満(よしみつ)の木像の首と位牌が持ち出され、賀茂川の河原に晒された事件。霊光殿には歴代の足利将軍、徳川家康の木像が安置されている。
河田小龍は幕末明治期の狩野(かのう)派画家で知識人。土佐藩士に生まれ13歳から画を学び始め、儒学や書なども学んだ。のちに京都、大坂、江戸、長崎などに遊学し、嘉永五年(1852)ジョン(中浜)万次郎の漂流話を「漂巽紀略」(ひょうそんきりゃく)にまとめる。
万次郎から聞いた西洋事情を坂本龍馬に伝え、これがきっかけで海援隊が生まれた。土佐藩士の薩摩派遣にも同行し大砲製造の技術なども学んで帰国した。小龍は塾を開き志士たちの指導者として多くの人材を海援隊に送り龍馬のサポートに努めたが、龍馬を失ってからは画業に専念した。明治二十一年(1888)頼山陽の書斎跡山紫水明処(さんしすいめいしょ)に仮住まいして、北垣国道(きたがきくにみち)の依頼で「琵琶湖疎水図誌」(びわこそすいずし)三巻を作り宮内省に献上「琵琶湖疎水工事写生帖」全七冊を残した。
参考引用掲載 新選組と幕末の京都
写真 ro-shin