京都市伏見区醍醐東大路町

勤王の志の篤い長州の一向僧(いっこうそう)たちで組織された金剛隊は、元治元年(1864)7月19日、来島又兵衛(きじままたべえ)率いる遊撃隊とともに「禁門の変」で戦った。奮戦するもむなしく幕府軍に撃破され、ちりぢりになって敗走する。鷹司邸や長州屋敷から出た火は折からの風に煽られどんどん燃え広がっている。そんな騒然とした中で、興正寺の門前に6人の金剛隊志がたどりついた。興正寺は彼らを匿い一夜の休息を与え、真言僧の姿で醍醐三宝院へ落ちのびさせた。

ところがこのことが新選組に知れてしまう。落ち武者狩りの結果、7月26日に金剛隊の6人は醍醐で捕えられ、六角獄舎に投獄されてしまった。

醍醐寺は貞観年間(859~877)に理源大師が上醍醐に准胝堂、如意輪堂を創建したのに始まる。
醍醐天皇の勅願寺となり、その後下醍醐が開かれ、代々の皇室の深い庇護のもと栄えるが、応仁の乱で多くの伽藍が焼失し荒廃した。しかし慶長三年(1598)の秀吉の醍醐の花見を契機として豊臣家の援助で再興し今日に至っている。

下醍醐の三宝院は総門を入ってすぐ左側にある、醍醐寺一山の中心子院。永久三年(1115) 第十四世勝覚僧正の創建による門跡寺院で、表書院、宸殿、唐門などの建物群や庭園は、ともに桃山時代の遺構として貴重なものである。
参考引用掲載 新選組と幕末の京都
写真 ro-shin
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