羅城門(らじょうもん) |
平安京の表玄関として造られましたが、今は石碑が残っているだけです。九条通りと国道一号線の交差点の近くにあります。
「羅城門」は「二重閣九間」、九間五戸の重層門で、丹塗りの大きな柱が並び、緑の屋根瓦のは城の鯱のように鴟尾(しび)が置かれていました。
この門を境にして洛中と洛外が区別されました。羅城門を守護する東西の位置に東寺、西寺が置かれ、そのうち東寺は現代まで残っています。
弘仁7年(816)夏の台風によって荒廃されてしまいます。その後再建されるも再び倒壊。その後再建されることなく現在に至っています。『今昔物語』には、「羅城門」の二階には鬼が住んでいると記されています。その鬼は帝が愛用していた玄象(げんしょう・楽器の琵琶)を内裏(だいり)から盗み出し夜も深まった頃になると、羅城門の二階で悲しげな音色を奏でて、毎晩都に響かせていた。
ある夜、清涼殿で宿直をしていた源博雅という勇敢な武士がその哀愁漂う美しい音色を二晩連続で耳にした。琵琶や笛などの名人でもあった博雅は、その音色が内裏から盗まれたものであると察し、灯りを手に持って音のする南の方へと歩いて行った。やはり、その玄象の音は羅生門の二階から聞こえていた。
二日目の晩、正体を知る為に二階にのぼっている途中で、鬼のような不気味なうめき声が聞こえてきた。それを聞いて驚愕した博雅は親友の陰陽師(おんみょうじ)安倍晴明(あべのせいめい)に羅城門の鬼を退治しようと相談した。
その話に乗った晴明は、博雅と盲目の琵琶法師蝉丸とともに鬼が住む羅城門へ向かった。羅城門の前で立ち止まった三人がその音色に聞き入っていると蝉丸が羅生門から聞こえてくる音色に合わせて琵琶を弾き始めた。
重なりあった二つの音色は静まり返った都に響き渡り、やがて二人の演奏は止んだ。あたりが再び静寂に包まれると、蝉丸と琵琶を引き合って上機嫌になった鬼が、自分のことを話し始めた。
それを聞いた博雅は帝の玄象を返してくれるように問いかけた。すると漢多太の霊は、宮中で働いているある女官が、亡き妻にそっくりなので明日その女官と一晩だけ過ごせたなら玄象はすみやかに返すと答えた。
約束どおり漢多太の霊は、玉草と引きかえに帝の玄象を博雅に渡した。二階へ上がった玉草は、兄の貴次から渡されていた鬼を殺す為の妖刀で、スキを見せた鬼(漢多太の霊)に斬りかかった。だがその一撃は致命的打撃にはならず逆に玉草は鬼に喰い殺されてしまった。次の瞬間妹を失った怒りの矢が鬼の頭に突き刺さった。矢を受けた鬼は血を流しながら二本目の矢を放とうとした貴次のノドを噛み切りあたりは血の海と化した。
太刀を抜いた博雅は鬼にふりかかった。鬼は「動くな!博雅」と博雅に金縛りの呪をかけた。安倍晴明にも金縛りの呪をかけたが高い霊力を持つ晴明には効かなかった。博雅の太刀を取って鬼を斬り伏した。「あの音色はすばらしかったぞ」そういって、鬼を成仏させた。
羅生門の鬼伝説です。
参考引用掲載 陰陽道古都魔界ツアー
写真 ro-shin