大長寺 だいちょうじ |
「定春亭」の一宇があり秀吉や家康が訪れた記録が残っています。 明治四十二年(1909)明治の豪商藤田男爵家の寄進により現在地に移転。山門・本堂・観音堂・藤田殿・庫裡・鐘楼など壮大な伽藍を誇っていましたが、昭和二十年六月の空襲で一切の堂宇を焼失しました。昭和四十六年に本堂他を再建しました。
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大阪新四十八願所 阿弥陀巡礼
第七願「天耳智通(てんにちつう)の願」もし我れ仏を得たらんに、国中の人天、天耳を得ず、下、百千億那由他(ひゃくせんのくなゆた)の諸仏の諸説を聞きて、悉く受持せざるに至らば、正覚を取らじ。
『大意』私の浄土の人・天人は天耳通(すべての音や声を聞くことができる能力)を有していて、いかなる仏の説法をも聞くことができますように。
和歌
ゆきてみぬ ちさとの外の あさ風も
心にすめる 月のもとかな
『訳』(本来なら)行ってみることで分かる、千里より遥か遠い先のあさ風の音も、心にすみ渡る月の下で聞こえるようだ。
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参考引用掲載 大阪新四十八ヶ所 阿弥陀巡礼
写真 ro-shin