新西国巡礼 <第12番 東光院 萩の寺> |
詣り来て 袖ぬらしけり 萩の寺 花野にあるまま 露の恵みに
ほろほろと石にこぼれぬ萩の露
秀吉の妻・淀君は秋の訪れを待ちわびて船で東光院を訪れます。彼女の萩への愛着は並々ならぬものがあり、長く手元へおきたいという考えでつくられたのは萩を筆の軸にすることでした。その萩筆で写経し、その甲斐あってまもなく秀頼を身ごもったと言います。
淀君ゆかりの萩筆は”心願成就の筆”として今も多くの人に親しまれています。
大阪府豊中市南桜塚1-12-7 ☎06-852-3002
●本尊 薬師如来、こより十一面観世音菩薩●開基 行基菩薩
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法話
萩の花ーその美と心 萩の寺住職 村山廣甫
神に供える木を 榊 といい、春に咲く花を椿としるすように、萩という字も作字で秋草を意味する。中国では軽視して「胡枝子」(こしし)と呼び、花としては賞味しない。
しかるにわが国では上古より万葉集に「秋の野に咲きたる花をおよび折りかき数ふれば七種の花 萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花また藤袴 朝顔(今の桔梗)の花」(山上憶良の歌)とあるように、秋の七草を代表し、日本の美と心を表象する愛すべき豆科の草花とされ、特に愛賞されてきた。
およそ萩に対する歌人の情愛は、山野に賞し、庭園に栽えて愛賞したものであって、大伴家持は「吾が宿の一村萩を思ふるに見せずしてほとほと散らせつるかも」と嘆いた。
思うに萩は「生え木」(はえぎ)から名付けられた。
生命力の強さ、復活を意味する花とされ、また一輪の美とは異なった群生、集合の美こそその生命である。
これは春の梅や桜にも共通する日本の美意識でもある。
当山の萩は天平年間、行基菩薩がわが国最初の民衆火葬を修された際、先亡の霊をなぐさめるため仏の供花として植栽された物であり四苦八苦の人生を絶え抜く生命力の強さと、貧しい弱い人の心も和合し合力する事によって大輪の花にも優さる雄大なスケールの美と力が持てる事を、1300年間に渡って訴え続けてきた。
萩の寺で子規は「ほろほろと石にこぼれぬ秋の露」と詠んだ。
萩の花は散った後も美しい。私たちもそうありたいものだと感じるのは私一人ではあるまい。
萩の花には精霊が宿る。帰るとき来たときよりも美しくー霊場「萩の寺」の本尊さまは、まさにこの萩の花なのである。
<参考引用掲載>新西国霊場法話巡礼 朱鷺書房