新西国巡礼 <第17番 楊谷寺> |
やなぎ谷 法の真清水 むすぶ身の 日の曇りさえ 晴るる嬉しさ
眼病の観音様、独鈷水(おこうずい)で有名です。
806年京都東山の清水寺を建てられた延鎮僧都という僧が霊夢に導かれ「西山に行けば生身の観音様を拝むことができると・・・」
僧都は道なき道をかき分け柳の谷へ進むと谷間より光明の輝きを認められここへお堂を建て観音様を刻まれました。
その後弘法大師空海が乙訓寺で庶民の教化をされている時、当寺へ参拝され本堂裏山の岩窟に17日間秘法を修されると、汲めども尽きぬ霊泉が湧いてきました。この水が眼病その他諸病平癒のための御供水として尊ばれています。
京都府長岡京市浄土谷2 ☎075-956-0017
●本尊 十一面千手千眼観世音菩薩●開基 延鎮僧都
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法話
楊谷観音のご利益 楊谷寺住職 日下悌宏
当山に有名な話がある。先の執事長の青年の頃(大正時代)の話である。彼は福島に生まれ将来外交官になろうと東京の大学へ進むべく開成中学で勉強を続けていたある日、突然視力を失った。当時の医学ではなおらないと宣告されたそうである。
希望に満ちた青年の心はどん底に落とされたようであった。絶望の中、人からこのようなことをきいた。京都には「眼病に霊験あらたかな楊谷観音」というお寺があて多くの人がご利益をもらっていると。
その時青年の心は藁をもつかむ思いで決心し、すぐに汽車に乗った。
この目が見えないと学問も出来ないし「外交官」にも、何にもなれない・・・・・
やっとのことで楊谷観音に着いた。山主に事情を話して参篭のお願いをした。寺での特別の参篭が許された。多くの参篭者と同じように祈りと勤業の日々が続いた。
ある昼下がり、境内で学生や僧侶と床几に腰掛けて話をしていた。となりで僧侶が新聞を見ていた。この新聞の一番大きい字が見える。字が見える。青年の心は驚きと嬉しさと感激で涙があふれ止まらなかった。少しずつ視力が回復した。観音様に幾度も礼をいって山を下りた。青年の東京での受験勉強が始まった。
しばらくして彼は再び門を叩いた。山主に言った。
「私の人生は失明の時に終わりました。今の視力は観音様からいただいたものです。それを思えば私の一生は観音様のお給仕に使いたい。」と
そして観音様の縁日に82才で寂した。
<参考引用掲載>新西国霊場法話巡礼 朱鷺書房