西国薬師巡礼<第22番 刀田山 鶴林寺> |
いにしへの 鶴の林に 散る花の 匂ひをよする 高砂の風
元正天皇の養老二年(718)武蔵国の大守、大目身人部春則が聖徳太子の遺徳を顕彰するため寺域を拡め、幾多の堂塔を建立し、それまでの寺名「四天王寺聖霊院」を「刀田山四天王寺」と改めました。
十二世紀の初め鳥羽天皇より勅願寺と定められ鶴林寺の勅願を賜ったことから現在の「刀田山鶴林寺」となりました。
通称「刀田の太子さん」「西の法隆寺」などと呼ばれて親しまれています。
兵庫県加古川市加古川町北在家424 ☎0794-22-2563
●本尊 薬師如来●開山 聖徳太子
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法話
鬼手仏心 鶴林寺住職 吉田亨盛
江戸時代の始め、大坂に津田三磧という名医がおられました。石州流の茶道の大家でもあった方です。医家として当寺のご本尊・薬師如来さまをいたくご信仰になり、大変な道程にもかかわらずたびたびお詣りになりました。ところが当寺のご本尊は秘仏で六十年に一度の開扉のため、目のあたりに拝めません。そこで三碩はいつでもお目にかかれる薬師如来さまを奉安することを発願し、新薬師寺を建立されることとなりました。延宝七年(1679)ついに開眼の日を迎えましたが、当人の三磧はこの日を待たず他界されていました。
ちころが当寺の将来がどうなるのか、ご心配なされたのでしょう。
遺言がございまして、一周忌に弟子たちの手ですばらしい茶入れなど多大の遺品が寄進されました。いざと言うときはこの品々を資として、当寺の霊験あらたかな薬師如来さまにいつまでも多くの人々がすがれるように維持につとめて欲しいということでございました。
このような訳で当寺には本堂(薬師堂)と新薬師堂という二つの薬師如来さまをお祀りするお堂がございます。
お経の中に「仏心とは大慈悲是なり」とあります。薬師如来さまの十二の誓願に示される大慈悲にすがるところに「医は仁術」といわれる真意があり病魔を驚かすような鬼手(奇手)が生ずるのではないでしょうか。津田三碩が名医とうたわれた理由もそこにあると思います。 合掌
<参考引用掲載> 西国四十九薬師巡礼 朱鷺書房